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No.96 

2011年度アイセック一橋大学委員会委員長

NPO法人アイセック・ジャパン事務局次長

名前:荒川征也

大学:一橋大学商学部4年

 

HP:http://hit.aiesec.jp/

 

 

「アイセック・ジャパン」

多くの学生はこの名前を一度は聞いたことがあるだろう。

 

アイセック・ジャパンは世界110カ国で活動する世界最大級の学生組織AIESECの日本支部として、海外インターンシップ事業を運営する学生団体。

 

国内の学生や法人等に対して海外インターンシッププログラムの提案を行っており、全国約1600人の学生会員が年間500件をこえるインターンシップの受け入れ・送り出しを実現している。 

 

今回のインタビューでは、24ある委員会のなかでもトップクラスの成果数をあげている一橋大学委員会で昨年度委員長を務めた一橋大学商学部4年の荒川征也さんにお話を伺った。

 

アイセックとの出会い 

 

―― 本日は宜しくお願します。早速なのですが、荒川さんの人物像について聞かせて下さい。中高時代はどんな生徒だったのでしょう?

 

普通の学生でしたね。バスケットボール部で副部長をやっていました。ポジションとしては流川(るかわ。漫画スラムダンクに登場する人物)のポジションだったのですが、流川とは程遠い感じでした。

 

そんなで6年間はずっと、バスケをやっていました。

 

―― 当時、海外や国際関係に関心はなかったのでしょうか?

 

そのときは全くなかったですね。日本で生きようと思っていました。ちょうど自分達の頃はホリエモンブームの時で、周りの友人たちと起業しよう、とずっと言っていましたね。ですがまあ、そうは言うものの具体的には全然踏み込んでおらず「ただやりたいね~」くらいでした。よくありがちな感じです。

 

―― 一橋大学を目指した理由はありますか?

 

現役の時はずっと早慶一本で勉強してきたのですが、受からず浪人することに。浪人するにあたって将来的に起業したいと思っていたので、ビジネスという分野でどこが一番最適な環境なのかを考えました。楽天の三木谷氏や当時経団連会長を務めていた奥田氏が一橋大学出身ということもあって、「ここならビジネスという分野でちゃんと教育してくれる場があるのかな」と思い、一橋を目指すに至りました。

 

―― 現役の時は私立専願で、そこから国立大学の受験となると相当大変だったでしょうね。 

 

現役の時数学を全くやっておらず浪人から始めたので大変でした。

 

―― しかも、数学の配点が高い商学部を志望されていました。

 

そうなんです。英語や地理は現役の時の勉強である程度十分かなと思っていたので、浪人中は1年間ずっと数学をやっていました。

 

―― 入学当初からアイセックをやろうと考えていたのでしょうか?

 

そうですね。考えていました。

 

浪人していた時はずっと塾の自習室にこもって勉強していたので、早く外の世界に出たいという想いがあって、特に日本だけじゃなくて色んな世界を見てみたかったんです。

1年間遅れた分そのような経験がいっぱい出来るとこがないか探していたところ、バスケをやっていた時の友人のお姉さんが国際系の団体に強い方で、アイセックを教えて頂きました。

 

また、組織運営やビジネスに携わってみたいという気持ちともアイセックは合致しました。

そんなこともあって入学前からアイセックに入ろうと思っていました。

 

 

日本人学生は海外の学生と戦っていけるのか

 

―― 入って一年目はどうでしたでしょう?やっぱり積極的にコミットしていましたか?

 

入って半年間は何にもしていなかったですね。正直なとこ最初の頃は、「アイセックってやってることよくわかんないし、結局海外インターンやって何の意味あるんだろう?なんで先輩達こんな一生懸命やってるんだろう?」という想いがありました。

 

なので半年間はずっと他のインカレのバスケサークルに入ったり、ロビー活動(※政治家に対して行われる各種団体などの働きかけ。)をしているインターンに取り組んでいました。

  

―― そのような状況から今の荒川さんを考えると、スイッチが入った出来事のようなものがあったのでしょうね。

 

そうですね、1年生の夏にアイセックの活動でインドに行ったんです。

 

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そのときインドの学生・社会人の方やインドに出向している日本のビジネスマンに会う機会がありました。インドが凄まじく経済成長している様子を肌感覚で目の当たりにして、「閉塞感漂う日本にいながら将来こいつらと戦っていかなければならないんだ…ほんとに戦っていけるだろうか」という思いを持ちました。というのも、インドに出向している日本のビジネスマンの中には全然元気がない人がいたからです。「早く帰りたい」とまで言っていたのを耳にしました。そんな一方、中国や韓国のビジネスマンは自らのビジネスを拡大するために日々歩き回っている…。

 

顕著に違うのはジェトロ(※ジェトロ…日本貿易振興機構。日本と海外企業の円滑な貿易促進を目的として1958年に設立された独立行政法人)です。日本人、インドのジェトロは極端に言えば何もしないで椅子に座っているだけで来る時のみ用意する感じ。一方、韓国のジェトロ(のようなもの)は日々営業まわりで韓国の権益確保に必死でした。日本の企業が海外で苦戦していることは分かっていたのですが、商品とかではなくそもそも努力で今の所勝てる要素がないのだなと感じました。

 

それだったら自分たち若者の手でなんとかしていくしかないと思い、インドから帰ってからは「アイセックで頑張ってみよう」と思ったんです。

 

―― では言い方は悪いですけど、たまたま行ったインドですごい影響を受けたと。

 

そうですね。

 

ヨーロッパなどは行ったことがあったのですが、インドは全く正反対かなと思って、どういうとこなのかなと興味がありました。ですが、まあ先輩に言われるがまま行きましたよね。先輩の口車に乗せられました(笑)。

 

―― インドから帰って来て以降、意識するようになったことはありますか? 

 

インドと日本を繋げる活動を積極的に行いました。インドの学生を海外インターンとして日本で受け入れてくれる企業を探したり、インドのことをもっと企業の人や学生に知ってもらうためのイベントを開きました。日本人の学生に「本当にインドの学生と戦っていけるのか」といった切り口から意識喚起を起こしたかったんです。

 

 

「委員長」として…

 

―― 一橋大学委員会の委員長選挙に立候補した理由を教えてください。

 

理由は単純に二つあります。

一つは、一橋大学委員会が約100人くらいの組織で、その人数をマネジメントする経験というのは他では得られない経験だなと思ったからです。起業などをすれば社長の経験は出来ますが、言っても最初は10人そこらの人数です。100人を一気にマネジメントできるのは魅力的。商学部で勉強してきたことを試せるいいアウトプットの場になると考えました。

二つめは、インドに2回訪問して今の日本人学生がアジアをはじめとした世界中の学生と戦っていけるのかという想いがあって、そのようなメッセージを発信出来るのは組織のトップに立つしかないのかなと思ったんです。一つの事業部のトップであれば戦略は打てると思うのですが、組織の方向性を示してあげられるのはやはり組織のトップでしかない。アイセック内でもここ数年、リマーンショックの影響などを受けて契約打ち切りなどもあって思い切って活動出来ていなかった部分もあったので自分がトップに立つことで一橋のアイセック委員会を変え、ひいては一橋大学に少しでもアプローチ出来るのではないかなと思いました。

投票自体は実は、自分しか立候補しなかったので信任不信任選挙でした。

 

―― 商学部では具体的に何を学ばれていたんですか?

 

1年生のゼミからずっとイノベーションと経営戦略を学んでいました。

 

―― 1年間委員長を務めた際に心掛けていたことはありますか?

 

2年生の時にプロジェクトのリーダーをやっていたのですが、同じ同期のなかであまり怒る人がいなかったんです。だからブランディングと言ったら大げさですが、怖そうな人としての立ち振る舞いをしてチームを引き締める役割を引き受けました。そうしたらアイセック内では怖い人で通ってしまいあまり話しかけられなくなってしまったんです(笑)。

だからこそ、委員長になってからはメンバーにとってあたたかく相談しやすいように心掛けました。

 

あとは、自分の目指したい方向をうやむやにしないで徹底的に伝えるということは意識しました。口に出しても言いましたし、相手が分からなそうであればとことん話合いました。それが難しいんですけどね(笑)。

 

―― 具体的には何を目標にしていたのでしょう?

 

成果数です。アイセックは概してあまり結果を出したがらない組織なんです。組織内部でも「インターンシップの質を上げていこうよ」という人がいる一方で、「数を増やしていこうよ」という人に分かれてしまうのですが、でもそれって分かれるようなものじゃないと思うんですよね。

質が良ければ評価されて必然的に数は伸びて行きますし、数がそれなりに増えるということはそれなりに認められていることを意味します。そういうところから、最終的に目指すのはやはり「数」(=成果数)なのかなと思い、メンバーの思考を成果主義に変えていくように気をつけていました。

 

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―― 一度固まってしまったメンバーの考え方を変えていくのは一筋縄ではいかないと思います。このように苦労した点が他にもありましたら教えて下さい。

 

他に苦労したことはメンバー一人一人まで目がいかなかったというか、自分のやりたいと思っていることを末端のメンバーにまで意識させて活動してもらうことがあまり出来なかった点です。というのも自分が、マネジメントする人たちを幹部やプロジェクトリーダーと割り切っていたので、末端までやろうと思っていなかったのが原因です。活動の中心となる営業に行くのは末端のメンバーなので、彼・彼女らに私の考えていることを十分に認識してもらうべきでしたね。

 

―― 委員長を務めた中で感じた、やりがいを教えて下さい。

 

一番は成果数をV字回復させられたことです。就任当初自分の掲げていた目標を達成出来ました。

 

さらに、海外に切磋琢磨出来る仲間を作れたことにも非常にやりがいを感じました。アイセックは海外にも支部があり、委員長になると海外のコミュニティにも入れます。「おまえのとこはどれくらい成果出しているんだ?」とか、「どういうことやっているのか?」ということを真剣に話し合え、競い合える仲間が日本だけではなく海外にも出来たことは財産だと思っています。 

 

 

4年目・5年目に見据えるモノ

 

―― 委員長を引き継ぎ、この春から4年目に入りました。抱負・為し遂げたいことはありますか。

 

法人のほうの副代表に就任するのですが、外部関係の統括や営業、ファンドレイジングを行い、そもそもアイセックジャパンの財政をどうやって立て直すのかなどを考えていきます。

 

抽象的にいうと日本の若者の国際競争力の強化、海外の優秀な人材との接点の創出が課題です。

 

―― 具体的には?

 

たとえば、東京大学の秋入学の件をあげることが出来ます。秋入学へ移行するとなればギャップタームが生まれます。そこで東京大学側の「学生を海外に送り出したい」という希望と、海外インターンとしてアイセックを使ってもらたいというこちら側の想いを上手く折り合わせられるように調整中です。

 

また、経済団体もグローバル人材を必要としていて、経済団体と一緒に提携していけないかと練っています。留学と海外インターンの二軸で若者を海外に送ることが、将来的に日本の企業を国際化していく鍵となると考えています。海外インターンという文脈で言えば、アイセックジャパンが日本のなかでは一番大きいので、政策提言ですとか制度設計のようなものを1年間通して行っていきたいと考えています。

  

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―― ちょっと早いですが5年目にやりたいことも決まっていますか?

 

ある程度決まっていて、政治塾にいま誘われていてるのでそこに入って勉強しようかなと思っています。

自分の将来の夢が政治家なのですが、政治の話や法律、海外の政治制度がどのようになっているのかという知識が自分にはまだまだ足りません。

 

ビジネスの知識は大学で勉強できるので、政治塾で学ぶ政治の知識とあわせて経済の分かる政治家にどうやってなろうか模索していきます。

 

それが5年目のやりたいことというかやることですね。

 

 

「政治家」という選択

 

―― いま、将来の夢という言葉が出てきました。その夢に至った経緯を教えて頂けますか?

 

始めは起業家になろうと思っていたのですが、アイセックの活動をしているなかで政治が経済の邪魔をしているという話がよく出てきたんです。自分の中ではビジネスが頑張れば日本経済は良くなると思っていたのですが必ずしもそうではないという話を伺い、日本が経済的にもっと浮上するには政治体制をそもそも変えなくてはいけません。そう考えたらそれをなしうる政治家がいまの日本にはほとんどいないんです。だったら若者のほうから声を出して政治に参画していくべきだと自分の考えが変わりました。それが政治家を目指すようになった経緯です。

 

―― 政治家と一口に言っても多岐に渡ると思うのですが具体的には?

 

私が考えているのは国政です。ステップ的に地方政治から国政という流れもあると思うのですが、地方は国家が作った枠組みの中で制度を作らなくてはいけないことが多く難しい面がある。私としては、国政に出て国のシステム自体を変えたいと思っています。

具体的に何をしたいかと問われたらまだ整理しきれていない部分もあるのですが、若者への投資やイノベーションをどのように起こすかという話には関わりたいと思っています。

シュンペーター(※ヨーゼフ・シュンペーター。オーストリアの経済学者。)とかがよく言っているのですが、「イノベーションこそが経済の源泉である。イノベーションを起こした国が経済成長し成功する」という段階を踏んでいるらしく、アメリカはITイノベーションなどで地盤を確立した結果いまのアメリカがあるんです。

 

そういう意味で、日本が主導権をもって経済を動かしていくためにはイノベーションを起こしていくしかないと思っています。そうしないと日本はアメリカが作った経済のなかでしか立ち振る舞いが出来ないんです。ですが、研究開発費などへの投資が日本は明らかに少ないのが現状です。あくまで、大企業の内部留保に任せたイノベーションの創出に留まっていて、一方アメリカの場合は、大学にある程度イノベーション資金を回すなどしてどんどんイノベーションが起こるような仕組みを作っています。日本も、国家が企業にイノベーションを促すようなナショナルイノベーションの仕組み作りをどんどんやっていかなければならないと思います。

他にも他国の例はたくさんあり、たとえば半導体の強い台湾は国家がそれに資金を投入していて税引き前利益より税引き後利益のほうが大きい。税を引くよりもまわりから足して、半導体以外の企業から集めた税金を半導体に一気に注力しているんです。それでは日本は勝ち目がありません。あちらは税が引かれる前より利益が大きいですから。

 

―― イノベーションを起こす鍵はどこにあると思いますか?

 

どのようにイノベーションを起こすかは今考えています。政府は増税する形で集めようと言っていますが、増税した後は取れる税金の額がほぼ間違いなく少なくなるんです。どこの国も増税した後にそれ以上の経済発展を遂げられていません。そういう意味で、増税した結果必ずしもイノベーションが生まれるというわけではありません。現在の政治家たちはただ「取れるところからどうやって取るか」といったことしか考えていませんが、それよりも日本経済そのものが新しい産業だとか収入源を増やしていかないとダメなんです。

 

―― そのような収入源を生み出す仕組みも考えているのでしょうか?

 

たとえばカジノなんかはいいですね。

 

日本は観光産業が強いので、カジノと日本の自然を抱き合わせにして海外からお金を集める仕組みを作れれば、カジノの売り上げはものすごいので、その一部だけでもイノベーションやベンチャーにまわすことが出来れば大きな効果があると考えています。

あとは大事なのは若者への投資です。日本は若者への投資が圧倒的に少ないと思います。

 

現在の年金をもらっている世代は平均貯蓄が二千万円以上あるんです。この額は非常に大きく、そういう人達に対して未だに多額の年金を払い続けるのであれば、その年金を若者への投資に回すほうが日本の経済発展のためにはいい。ですがそれはもう既成政党には出来ないんですよね。票がそこからしか取れないからです。ですので自分達が若者の党を作っていかにやっていくかを考えなくてはいけません。

  

―― 最後に好きな言葉を教えてください。

 

「おもしろきこともなき世をおもしろく」という高杉晋作の有名な言葉があります。

 

自分が世の中を面白くないと思ったのであれば、自分からどんどん面白くしていこうよとか面白くないと思わずにどうやったら面白くできるのだろうかと考えていくべきだと思うんですよね。

 

人って結構まわりのせいにしちゃうじゃないですか。周りが悪いと思うのではなく、どうやったらそれをよく出来るだろうかということを考えていくべきだと思います。

 

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~アイセック一橋委員会~

http://hit.aiesec.jp/

 

【インタビュアー…長瀬晴信】