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「少子化を止めて、ありりん★WONDERLANDを作りたいんですーっ!」
皆さんの周りにもいるのではないだろうか。さんざん人を巻き込んで、とことん振り回す。けれども、なんだか憎めなくて、愛情すら抱いてしまうような人が。

今回インタビューした五十嵐有沙(いがらしありさ)は、まさにそのような人である。天真爛漫な性格ながら、無鉄砲な面もある。やると決めたら一直線だ。そして、自分のことを「自称アイドルのありりん」と称し、大学生にもかかわらずセーラー服を着ている。

彼女は、自分が思い描く理想の世界を「ありりん★WONDERLAND」と呼ぶ。

自治体を巻き込んだ少子化対策プロジェクト、Ustream番組制作、イベンター、デザイナー、ビジネス…。多岐に渡る分野で活躍する彼女が、波乱万丈な人生を過ごしてきた、という事実はあまり知られていない。生い立ちに迫り、彼女の圧倒的な行動力の源、そしてたくましく世の中を生きていくためのヒントを探る。

 

五十嵐有沙(いがらし・ありさ)
1994年宮城県生まれ。自称アイドル。宮城大学3年生。兄2人、弟1人、4人兄弟の3番目として育つ。若者に結婚・出産・子育ての大切さを考えてもらうべく、2015年10月より半年間、宮城県子育て支援課とのプロジェクト結婚・出産・子育てってほんとは楽しい!を調べるプロジェクト」を主導。靴磨きビジネスで地域活性化を促す「Uppers」の広報やUstream番組を制作するなどメディア方面にも明るい。イベント主催・運営実績多数。特技は歌。将来の夢は、きらきら輝く東北のアイドル的存在☆

 

父親の顔色をひたすら窺い続けていた少女時代

 

アイドルを名乗り始めたのは、つい最近の出来事。元々は暗い性格で、人とも上手く接することができなかったんです。とありりんは言う。その理由は父をはじめとする家族との関係性にあった。

私の父親って、「誰と遊びにいくんだ?」「その子はどんな子だ?」とか、私の言動一つ一つに対して厳しく干渉してくる人だったんです。特に異性関係には神経質だった。

 

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―物心ついたときからそうだったんですか?

そうですね。お父さんは好奇心が強い性格で、新商品が出ればいち早く買いに行って試すようなタイプの人。

頭の中には斬新なアイディアがぽんぽん浮かぶんだけど、それを人に上手く説明したり実行したりするのが苦手で。それに感情のコントロールが効かない時があって、怒りっぽい部分があった。

 

―…。「いつも天真爛漫なありりん」というイメージが私の中にはあるから、実は大変知り驚いています。ありりんはお父さんに反抗…したりしなかったんですか。

家出ほどのことではありませんが、中学2年生の時にちょっとした出来心から、ピンク色のネイルをして、友達と遊びに行きました!

 

―おお。それで、お父さんの反応はどんなものでしたか?

帰りがけ、真っ先に「何色気づいて!男でもできたのか…?」と言われました。男となんて遊んでないし、女友達と買い物に行っただけなのに。それからというもの異性関係に関する干渉がエスカレートしていった。だから、「遊びに行くとどうせ誤解される。」って思っちゃって…火のないところに煙は立たないから、「遊びはダメ」って自分に言い聞かせてました。そのうち友達からのお誘いもどんどん減って、学校でも居場所がなくなっていった。辛かったけど、誰にも相談できなかったし、高校受験が近いということもあって勉強に集中することにした。だから、気づいたら男性という存在に苦手意識を持つようになっていましたね。

 

―年頃になると、自我が芽生えて自分自身を両親にぶつけていくようになると思うんです。いわゆる思春期とか反抗期って言われる時代。

中学生くらいになって反抗期を迎えると、特に女の子は父親に対して「お父さんなんかウザいんだけど」とか「一緒にいたくない」とか言う人が増えるけど、私にはそれが全く理解できなかった。口ごたえしたら、お父さんからどんなことを言われるか、想像しただけで体が震えたから。それに何よりも怒っている父親の姿を見るのが嫌だった。

中学に入って部活選びをする時に、こんなエピソードがありました。

私は野球部に所属していたお兄ちゃんの影響から、ソフトボール部に入部届を出しに行ったんです。そのことをお父さんに話したら、睨まれて、鼻で笑われた。なんかとてもまずいことをしてしまった気持ちになって、怖くなった。

お父さんはもともと武道をやっていて、娘にも武道をやらせたいと思っていたみたいなんです。だから私は自分を押し殺して剣道部に入った。

 

―つまり父親が発する空気をひたすら読み、従っていたような感じだった。

はい。何もかも「ダメ」と制限する家庭で育ってきたので、過度に人の顔色を窺うようになっていた。学校での人間関係でも家庭環境の影響が出るようになった。

どこまで他人の本心に踏み込んでいいか分からなかったから、仲のいい友達がなかなかできない。人との絶妙な距離感の取り方が分からなくなっていたんですよね。

 

―なるほど。

人と人との会話のキャッチボールが苦手だった一方で、プレゼンや原稿の読み上げのような人前で話すことは好きだった。目立ちたがり屋っていうのもあるかもしれないけど。

 

―対人のコミュニケーションは苦手でも、一方的に話すことには抵抗を感じなかったんですね。

はい。高校時代は生徒会に自分から立候補して、副会長になったんです。そのつながりで高3の時に、NHKの番組「東北発☆未来塾」に出演したこともあります。

大切なことに気づくのは、失った後だ。

 

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【高校3年のときに出演したNHK「東北発☆未来塾」では名古屋の高校生と復興弁当を作った】

少しずつ、少しずつ。迷い苦しみながらも彼女は他人と接することに向き合うようになる。

大学 1年生の夏、そんな彼女の世界観を変える出来事が訪れる。

―それからは、少しずつ人と接することに抵抗はなくなりましたか?

それが、そうでもなくて…。大学に入学してすぐ、付き合うか付き合わないかって感じの関係になっていた男の子がいたんです。いわゆる「友達以上恋人未満」。その人とは、中学のときからよく音楽CDを貸し借りしていたんですよね。

 

―なるほど。

その人は、家庭の事情で高校には進学せず、大阪や東京で工事現場やホストの仕事をしていたみたいです。

音楽の趣味が合うから、中学時代はCDの貸し借りをしあっていて。男性が苦手だった私でも、彼は同級生ということもあり、大丈夫でした。大学1年の夏に久々に、連絡が来て、いつものとおり、CD貸してくれない?っていう話になりました。

それに対して私は、会うの久々だし、せっかくだからお茶でもしようよ!という話を持ちかけて、約3年ぶりに会いました!

 

―それで、彼とはどうなりましたか?

なんか、好きまでいかないけど、彼は私にとって間違いなく「気になる」存在ではあったんです。再会後はわりと頻繁に会っていたんですけど「男性と会っている」という事実には罪悪感しかなかった。

これ以上彼との距離が近づいたら、私が私じゃなくなっていくなっていく気がして怖かったから、突き放すことにした。

 

―彼にはどうやってそのことを切り出した?

「もう、会うのやめよう。私どうしていいか分からないから、ごめん」って、つっぱねるように言った。

それからほどなくして、同級生から1通のラインが来ます。「彼が突然亡くなった、死因は分からないけれど」って…。

19歳という若さで突然の出来事で、目の前が真っ暗になりました。身近な存在であることには変わりなかったから。

辛くて親に相談することも考えましたが「男の子と2人きりで会うなんて、信じられない」と言われるのがオチだし、自分自身が追い詰められるんじゃないかとも思ったから相談できなかった。私はどうすることもできず、一人でふさぎ込む日々が続きました。

 

―なるほど。彼には何かしらの兆候はなかったんですか。

最後に会った時、「またね」といつもの帰り道でいつものように挨拶を交わしたんです。もしあの時、彼にちゃんと向き合っていたら、もし彼がそれとなく発していたかもしれないサインに気づいていたら…。たくさんの「もし」が頭の中でぐるぐると回るんです。生身の人間とコミュニケーションすること、人が伝えようとしていることを適切にくみ取っていく難しさを実感しましたね。そして、何のために生きているのかわからなくなったんです。「死のうかな」と本気で考えたこともありました。夏休みが終わって最初のうちは授業に行っていたけれど、だんだんと休みがちになり、複数所属していたサークルも辞めた。アルバイトに行く時以外は自宅にひきこもったり、深夜徘徊をする日々。大学の単位もぼろぼろ落としました。

 

偶然の誘いに導かれてたどり着いた「かけがえのない居場所」

 

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大切な友人の死を受け、ショックのあまり半年以上もの間、ひきこもり生活を送るようになる。人がまた怖くなったートラウマから、対人恐怖に陥る。しかし、そんな絶望からありりんを救ったのもまた「人」だった。

 

―…。それは辛い経験でしたね。ひきこもりの時期が続いたということでしたが、そこから抜け出すきっかけは何でしたか。

それから約8か月後、「IF I AM(イフアイアム)」というUstream番組を制作する学生団体の出会いが、私を助けてくれました。

団体名にもなっているIF IAMは2011年4月からスタートした、毎週木曜日の21時から放送しているUstream番組です。所属メンバーは宮城と山形の大学生で、被災地を中心とした東北の姿を伝えていきます。学生自らが番組の企画・編集・番組進行すべてを担っているのが特徴です。大学2年生の夏に、以前から知り合いだったIF I AMのメンバーから「何か企画やろうよ!企画持ち込み大歓迎ー!」と誘われたんです。

―IF I AMのメンバーに加わって、番組を作るようになった、ということですね。

IF I AMは震災1か月後の放送開始以来、毎週1時間のUstream番組を学生だけで休むことなく作っていたんです。関わっている人も、学生とは思えないくらいの編集技術を持っていたり、ユニークな企画を作れたり、しゃべりが上手かったり。実は入学当初から気になっていた団体ではあったんですけれど、誘われるまで入るタイミングがなかった。

―そうなんですね。番組内では「自称アイドルありりん」というキャラクターで活動しているとお聞きしましたが、その経緯は?

震災が発生してから2年が経過したあたりかな。震災に対する世の中の関心が薄まっていくのに伴い、IF I AMを見てくれる視聴者の数も激減した時期があって。それを知ってたから、やるからには面白い企画を編み出して少しでも多くの視聴者を獲得していきたいという思いが私にはありました。新しい風を吹き込みたいと思っていたんでしょうね。

「自称アイドルありりん」が誕生したのは、IF I AMの24時間配信のとき。

24時間ずっと生配信をし続けるというかなり無謀な企画で、その配信中にたまたまスタジオに遊びに行ったんです。そこで、スタッフの方に質問されたんですよね。「ありりんは何なの?」「アイドルなの?」って。

ちょうどその時期は、「自分の生きる意味」とか、「自分って何?」という自身の存在意義を考えてた時期だったから、ものすごくタイムリーだった。それで、私、気づいたらその質問に「はい。」って答えてた。勢いで言ってしまったところがあったから、最初は「アイドルなんて柄じゃないし…」と思っていたけど、「自称だったら、別に柄じゃないとか関係ないか!」と途中で捉えて、結果的にセーラー服を着るようになった。そうしていくうちに、有沙といえば「自称アイドルのありりん」っていうのが確立していった。

ちなみに服装をセーラー服にした理由は「アイドル=目立つ服装」というイメージがあったし、「チキンな私でも、誰しも着たことがある学生服だったら、いけるでしょ!」と思ったからです。

 

―IF I AMのありりんとして活動するようになってどんな変化がありましたか。

男子大学生と仙台の魅力的なスポットをデートする「ありりんデート企画」をはじめとした番組のコンテンツを練ったり、他の人が撮影した番組を編集したり。過去の私を知らない人に囲まれた環境下で、自分自身の思い描いている世界をのびのびと発信する気持ちよさを実感しました。毎週続けているうちに「ありりん」というキャラクターを周りの友人や知人にも認知してもらえるようになったし、新しい友達も増えた。

過去のトラウマから人と話すことに恐怖すら感じていましたが、IF I AMのメンバーになってからは、人とコミュニケーションをとることに対する抵抗が少しずつなくなっていった。IF I AMは私を暖かく迎え入れてくれるかけがえのない場所なんです。「私の居場所はここなんだ」というある種の安心感がありましたね。

 

―IF I AMはありりんにとってすごく居心地がよかった。かけがえのない居場所になったんですね。

はい。IFIAMのおかげで、男性を含め、人と接することへの恐怖心がなくなった。また、私が今取り組んでいる「少子化問題を解決するための活動」の原点にもなっています。

人生における「後悔」を少しでも減らすことができたら

【IF I AMで不定期放送される「ありりんデート企画」も少子化問題に向き合うようになったきっかけだ】

ありりんはよく「少子化を止めたい」と言う。少子化?一見脈略のない発言にも取って見れるが、その理由は?

 

―少子化、ですか。なんでまた少子化問題に取り組もうと思ったんですか?

大学1年のひきこもっていた時期に「生まれてから今まで何を考え生きてきたか」をじっくり振り返ってみたんです。その時に出した結論は、どうせ生きるなら自分のためだけに生きるのではなく、よりたくさんの対象を幸せにしたい、それならば社会問題を解決していきたいというものでした。

 

―なるほど。一口に社会問題といっても、あえて少子化問題に特化する理由は何でしょうか?

小5くらいの時に見たあるテレビ番組で「妊婦のたらいまわし事件」について知りました。その番組で報じられていた「少子化が進む日本では妊婦が無事に赤ちゃんを生む環境すら整っていない」という事実に衝撃を受けます。それ以来少子化問題に関心を持つようになり、年配の人にまぎれて講演会に足を運んだりしていました。

結婚、出産、子育てって、女性はもちろん男性にとっても人生のターニングポイントになる出来事のはず。にもかかわらず、私たちの世代でそういった情報に触れる機会は、めったにない。だからそういうことに対して現実味が湧かないんです。

その後大学2年生の冬ごろに、靴磨きを通して地域活性のビジネスをする「Uppers」に所属して、子育てママさんをはじめとした大人と関わる機会が圧倒的に増えたんです。人と関わる機会が圧倒的に増えたんです。独身の方から、既婚者・子供がいる方、いろいろな人とお話をしました。

そこで聞いた声で心に残っているのは、「社会人になったら時間なんてない。結婚願望はあったけど、出会いを求める余裕なんてなかった。もっと早く結婚について知って人生を計画的に設計していたらよかった」「私たちの時代にも、結婚・出産・子育てについて考える時間があれば本当によかった。もっと人生が充実していたと思う」というものでした。

私は、こういう思いをしてる人を少しでも減らしたいと思いました。

―人生における「後悔」を減らすお手伝いをしたいということですね。

はい。

けれども、人にはそれぞれの人生があるし、子どもを産みたくても不妊や経済的な理由から叶わない人だっている。結婚しなくてもいい人だっているし、私はそういった人たちを否定するつもりは全くない。むしろ一つの生き方として尊敬しています。ただ、人生の早い時期から結婚、出産、子育てについて目を向けておくのも今後を考えれば悪いことじゃないな、と感じるから私は動き続けます。

大学生のうちから結婚、出産、子育てについてのリアルな声を聴かせたい

 

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【基本的に宮城県内の大学生・高専生12人でプロジェクトを回している。】

彼女の思いは、徐々に周囲の人をひきつけ、ついには自治体をも巻き込んだ一大プロジェクトとなる。

 

―最近は宮城県とコラボして「結婚・出産・子育てってほんとは楽しい!を調べるプロジェクト(通称しらぷろ)」という企画を進めているそうですね。どういった経緯で始めたんですか?

当時、個人で出産と子育てについて考え学びを深める場「ARIRIN★CAFÉ(ありりんカフェ)」を主催していましたが、資金やマンパワーの面で力不足を感じることも多くて。そんなときに、ARIRIN★Caféとコンセプトがほとんど同じである「結婚・出産・子育てってほんとは楽しいを調べるプロジェクト」の話が来て、一緒にやることにしました。
 

主な活動内容について教えてください。

主な活動内容としては3つあります。1つは情報発信。SNSを活用して、結婚や出産、子育てに関するコラムを定期的に投稿します。

2つ目はセミナー。出産や子育てにまつわる有名人をゲストに呼んだトークセッションを通じて、参加者に将来の選択肢の一つとして結婚、出産、子育てをどうしていくか考えてもらう場を設けています。
3つ目はBOOKの発行。。2016年の2月末に、大学生が抱く結婚・出産・子育ての疑問解決をテーマにしたフリーペーパーを発行する予定です。フルカラー24ページのものを10000部で、仙台市内の大学やお店に置いてもらうことになっています。任期が2016年3月までなので、あともう少しですね。

 

―頑張ってください!しかし出産や子育てに関しては、実際に経験しないと分からない部分がある、とも感じます。現状でありりんは、出産や子育てを経験してはいない。その点について、批判の声はありませんか。

めちゃめちゃありますよ!友人や知人からよく言われるのが「実際に子どもを産んで育てたこともないのに、当事者の気持ちが分かるわけない。そういうのは経験してからでもいいんじゃないか」。
 産んでないからこそ、出産や子育ての大切さを伝えるべき層にフラットな立場で伝えられるんじゃないかと感じたから、声をあげ続けているんです。

経験者が結婚・出産・子育てについて話をすれば、体験談として説得力のある話ができるかもしれない。でもそうすると、教える側と教えられる側の間に越えられない壁ができてしまう。今の立場だからこそできること、ママと若者の架け橋のような存在になれたらいいです。

 

―なるほど。ありりんが少子化問題解決に向けて行動している理由が何となく分かってきたような気がします。

自分が問題意識を持つようになったのも、元をたどれば家族の存在ありきなんです。以前は「普通」とは少しかけ離れた私の家庭環境だったり、そこから離れられない自分自身だったりに劣等感を抱いていました。もし違う家に生まれていたら、もっと私のありのままを受け止めてくれる家族だったら…。

でもあるときから「『たら』『れば』はやめよう」と決めたんです。両親はよく私に、産まれたときや幼い頃の話をしてくれます。確かに父は私に過干渉気味で怒りっぽい。でも、元から悪い人じゃなくて、人より少し不器用で感情の表現が苦手なだけ。少子化問題を解決したい!との思いで、いろいろなことに手を出しながら、自分自身に向き合っていく過程で、そのことに気づきました。

感情と感情のぶつけ合いでそっぽ向くのではなく、一人の人間として冷静に向き合うようになったら、関係性も徐々に良くなっていきました。その経験が、少子化問題に向きあう身としての視野を広げてくれたと実感しています。今は、家族のことを恨んでいません。むしろここまで育ててくれたことに感謝しています。私が生きる原動力になっているのもまた、家族なんです。

うまくいく人・いかない人の分かれ目は、自分に自信を持てるかどうか

 

普通であれば、心が折れてしまいそうな経験をしながらも、彼女はしなやかに、たくましく生き続ける。そんなありりんに人生を切り拓くためのヒントを問う。

 

―たくさんの出来事を乗り越えて、今のありりんがいる。最後に、どんな逆境に置かれても自分の人生を切り拓いていくためにどんなことを心がけているか教えてください。

自分のやりたいこと、考えていることを恥ずかしがらずに伝え続ける。自分という人間を理解してもらいやすくなるし、続けることでキャラクターを確立できたらこっちのもの。

思っている以上にみんな、自分のことに精いっぱいで他の人に目を向けている余裕はありません。他人の目なんか気にすることないんですよ。今はインターネットがあって、自分の気持ちを広く伝えるハードルが低くなっています。現状を変えたいという思い、そして言葉にしたことを実行する覚悟があるかないかの違いだと思います。

 

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彼女の語り口は軽やかであったが、時折ずしりと心に重くのしかかる表情を見せる。その根底には、波乱万丈な経験、そしてそれに向き合ってきたからかもしれないということが分かった。

これからありりんは、どのように少子化問題に向き合い、自分自身の未来を切り開いていくのだろうか。今後も目が離せない。

インタビュー・文 鈴木里緒 写真提供 五十嵐有沙