「いま、ホームレスなんよ」
初めて会ったとき、彼女はそう話しました

カオルさん(24歳)大学2年生

日本の貧困、格差社会を変えたい。
  この強い決意の背景には
いじめ、DV、退学、
親の離婚、家出……
そして

  自ら学費を稼いでの通学
といった実体験がありました

そのほんの一部を、ここに載せています

家族とは
働くとは
学ぶとは



彼女の言葉から、あなたは何を考えますか?S__3342354 (2)

▶ いじめを止めて、いじめを受けた

 家族は4人。父と母と、年の近い妹。小学生のころから両親は仲悪かった。父は私に関して本当に無関心だったけど、母は“教育ママ”。私はたくさん習い事させられて、とにかく学校では一位になることが求められていた。そのことがあって、中学に入って最初は、けっこう成績も良かった。母にとって“順調”な娘だったと思う

 中1のとき、クラスの男子が、いじめを受けていたんよ。ある日の掃除時間、その男子の雑巾をいじめている子が取って、返そうとしないの。周りの人も、ただその様子見て笑うだけ。私はそれに耐えられなくて、気付いたら雑巾を奪い返して「なんでこんなことするとや!?」って言っていた。それ以降、変な噂流されたり、卑猥なこと言われたり、給食にほかの人の髪入れられたり、トイレの水かけられたりするようになって……。担任の先生に何度相談しても、一向に取り合ってくれなかった。

 そのころ、不登校気味の女子2人と知り合って「うちに来ていいよ」って言われた。1人は世間的にはヤンキーって感じの子だったけど、いい人で。それで、学校行かずにほぼ毎日その子の家に行くようになって、しばらくしてそれが親にバレたんよね。受験のために学校に行くようになってからも、席が椅子だけになっていたり、テストの答案ぐちゃぐちゃに捨てられとったり。先生に相談しても「お前は甘えとる」って、志望校についても「絶対受からん」って言われちゃって。

▶ 明日、私は生きている?

 結局、志望校は受けられなくて全日制の私立に。でも、授業料とか全部、自分で払わないといけなかった。母はきっと、私が、母の思い通りの道を行かなかったことにすごく落胆してたんよ。もともとDVを受けていたこともストレスになっていたんだと思う。
両親とも、私がどこから学費を捻出しているかなんて尋ねもしなかった。父に至っては、私を名前で呼んだことがない。「お前なんか子どもじゃない」って言われていた。
 当時の私は、見た目金髪ヤンキーって感じだったし、社会人からお金出してもらっていたこともあった。中学の友達の家に泊めてもらえないときは野宿して。家では、毎日殴られたり刃物向けらたり追い掛け回されたり、本当に命の危険を感じるような状態だったから。それでも家に居なきゃいけないときは、電気点けて寝る生活をしていた。
 高校、退学したんよね。一年行って、留年してもう一年行ったけど……。何か所もバイトしないとお金足りないから、だんだん学校行けんくなってきて、過労で入院したこともあって、「もう意味ないな」って思って。
中学の時から何回も、本気で死のうと思ったことあった。でもそれよりも、どうやったら今日を生きていけるか、それで必死だったんよ

▶ もう一度、高校へ

 しばらくして、中卒だと今の社会ではできること限られてるって実感した。やっぱり高校行こう!ってなって。夜間の単位制高校を目指して、友達に参考書もらって必死に勉強した。倍率5倍くらいあったけど、秋入学で合格できたんよ。嬉しかったよー!でも偏差値25くらいしかなかったから、案の定全く授業が分からない。「どうせまた諦めるだろう」って思われているのは自覚していたから、「絶対頑張ってやろう!」って思って。自分で学費払いながら、3年半一日も休まずに学校行った

▶ 毎日が非日常

 2年生に上がって父の行動がエスカレートしてきた。とうとう父が、母に手をかける寸前までいったことがあって、もう急いでそれを必死に止めたの。その一件があってから、母を説得して、証拠を集めて、離婚調停を始めた。
 調停始めたらすぐ別居ってわけにも現実にはいかない。そうこうしているうちに、冬、私が夜間の授業に行っていた間に、父が無理心中を図ろうとした。妹から連絡受けて急いで家に帰ったら、警察まで来る騒ぎになっていた。その日は母と私と妹と3人で逃げて、何日か車中生活して家に戻った。父は、警察のおかげでもう家にはいなかったけど、逆恨みから家に乗り込もうとしてくるようになって、本当に、本当に大変だった。

 私はその頃、大学進学を目指していて。学校でも家でもずっと勉強して、引越しが必要な遠方の大学に推薦貰ったのね。でも、学費を払えんくて、地元の私立大学に行くしかなくなった。そこでも受験料が払えなくて、指定校推薦に変更して入学することにした。
 卒業式の頃には離婚成立していた。私、運が良いことに卒業式の総代になれて。そのとき初めて、母が喜んだ。親戚からも「やるねぇー」て言われて。でも、今まで見向きもされなかったから「人間って簡単に手のひら返すなぁ」って感じるしかなかったんよ。

▶ 家庭と仕事と大学と

 これまで学校の先生にいい思い出が無かったけど、定時の先生は真摯に向き合ってくれて。人のために心から動ける存在になりたい、そんな先生になろうって思った。でも大学に通い始めてみると、「私がしたいことって、先生になれば解決するようなことじゃない」って気付いた。
 その矢先、1年生の終わりがけに、母に対する妹の当たりが強くなってきて、それを止めなきゃなって瞬間が増えてくるようになって。父は父で、執拗に母に復縁を迫ってくるようになった。
 それに加えて、貯金がどんどん無くなってきて。朝4時に起きて7時前から3時間働いて大学行って、大学終わったら別のバイト、って感じでバイト4つ掛け持ちを一年間やりよったけど、せっかく貯まったお金は、裁判にかかった料金の後払いに消えて、授業料が払えなくなってきた。母のためによかれと思ってやったことが空回りすることもあって。ほとんど大学に行けなくなってきた。

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↑大学では軽音サークルに所属。趣味はギターと作曲で、特にロックが好きだという

▶ ホームレス生活を乗り越えて

 そんな状態のなか、母親と揉めに揉めて「もう出て行ってくれん?」て言われた。それにキレてしまって2週間くらい家を出た。その間、野宿や外泊を続けたら、病気になって。「住むところ探さなきゃ」って思って、その後も2週間くらいいろんな所で過ごしながら、アパートを必死に探した。保証人とかの関係で、どこもかしこも断られて。で、なんとか決まって前金まで入れた頃に倒れちゃって、救急車で運ばれて入院になった。お金がないから退院しますっていって病院出たの。検査入院費でもお金使っちゃったから。

 途方に暮れて大学の学生課に行ったら、給付奨学金を紹介された。でもそれ親のサインとか要るんよ。「どうしても親からサインもらえないから緊急なんです!」って訴えて学生課に10回くらい通いつめた。本当に、私の状況を理解してもらえなくて。
 やっと書類が受理されて数日経ったときに、学生課の課長から「入寮する気はありますか?」って言われて。思いもしなかったことだから本当に嬉しくって!その後、給付奨学金も受けられることが決定してあぁ……やっと勉強できるなぁ」ってなった。

 

▶ 目指すは「親子支援」の法人化

 アパート探しで実感したけど、特に制度上、家族親戚の存在って重要なんよね。自分の両親を振り返ると「余裕が無かったんやろうな」って思う。もちろん、どんな状態であれ私の家族は家族だから、今後も何らかの形で支えていくつもり。
 今の貧困家庭への支援って、衣食住だけに終わる場合が、まだまだ多い。でも日本って経済的だけじゃなくて、精神的余裕にも格差がある。私は、そういう格差の狭間で苦しんでいる子どもと親、双方を支える活動がしたい。先立つものがなかったら、できることは限られる。だから、最終的には法人化して、継続的に活動していきたい。

  今心掛けていることは、いろんな分野の本を読むこと、いろんな人に会って考えに触れること。起業セミナーや他大学との合同イベントに積極的に参加するなかで、学べるってこんなに楽しいことなんだ!って感じている。自分の夢を叶えるためにも、まずは大学院に行って、北欧に留学して、北欧の教育システムを研究していくのが、いまのところの目標かな。

▶ 日本の貧困問題、まずは知ることから

 学生のみなさんには、自分が学べるって状況が「有り難い」って、「すごいことなんだ」って自覚して、日々勉強してほしいなって思う。それは、私自身にも言えること。

 そして、全てのひとに伝えたいことは、日本にも貧困があるってことをもっと知ってほしい。よく「外国を見たらもっとひどい状況じゃないか」って言われるけど、そのイメージのなかにある「ヒンコン」ってすごく限定的になっていませんか?

 

 

  【インタビュー、文  馬田さとみ】