photo by Takehiro Nakamura

photo by Takehiro Nakamura

「やりたいことが分からない」。

大学生の中にはそのように思っている人が少なくない。

しかし、彼は違った。

機会がないことで貧困を強いられる途上国の人々に対し、微力でもできることをしたい。なぜなら、彼らが僕の人生を変えてくれたから」

 

確固たる思い。気さくだけれど、芯がある。

何かと真剣に向き合っている人は不思議と分かるものだ。

「自分の心に正直になってるだけ」。

そう笑って話す中村さんは、山形県生まれの20歳。2015年8月より、山形大学からイギリスのマンチェスター大学に交換留学生として1年間留学、現地では開発経済学を学んでいる。

その後は、ラオスで地場産業振興のマーケティング支援を行うPTP本社において3か月間のインターンシップを行う。インターンでは、商品開発から、市場調査、広報など多岐に渡る分野の仕事に従事する予定だ。留学プランが評価され、文部科学省が行う留学助成制度「トビタテ!留学JAPAN」日本代表3期生に選出された。

 

▲「トビタテ!留学JAPAN」日本代表事前研修の様子 photo by Takehiro Nakamura

▲「トビタテ!留学JAPAN」日本代表事前研修の様子 photo by Takehiro Nakamura

 

一見順風満帆な大学生活を送る中村さん。しかし、インタビューの開口一番に出た言葉は意外なものだった。

 

「元々海外には興味はあったけれど、決め手は自身に対するコンプレックス。それと、現状を変えたいという思いかな。当時は、とにかく

毎日「『これでいいのかな』と悩んでいたけれど、答えが見つけられなかったんだ」

 

「大学受験失敗」という挫折

 

何もかも上手くいかない自分の人生。ひどく落ち込んだ。

 

中学・高校と部活動の陸上に夢中だった。専門は長距離走。チームの主将を務め、みんなから頼られる存在だった。

しかし、中学・高校共に一番大事なところで失敗をしてしまう。

「チームメイトや顧問、応援してくれる親にも本当に迷惑をかけることになりました。自分って結局何もできないじゃんってすごく落ち込んだんだ」と振り返る。

 

そんな思いで大学受験に臨んだ結果、大学受験でも失敗。

「このまま何をしても失敗するならいっそ何もしないで生きていきたいって思った。ただ、これが良くないことぐらいは当時の自分でも分かっていました。そんな自分を説得するかのように、挑戦しない理由を大学や地方など、環境のせいにしていたんです」

IMGP0739

 

人生は毎日が勉強だ

望みが叶わなかった。だからそれに代わる肩書きが欲しかった。

 

「受験が不本意な結果に終わったこともあって、大学が嫌で仕方なかった」と中村さん。

「とりあえず1年生の時、授業はとれるだけ履修していたんだ。だからといって、特別な目的意識はなかったんだよね。とりあえず色んな授業受けてれば、何か見つかるんじゃないか位の気持ちでした」。

 

 

 

地方都市にある大学特有の、良くも悪くものんびりとした雰囲気に今一つなじめなかった。学校と家の往復という単調な日々が続いた。「なんで俺こんなところにいるんだろう、このままでいいのかな」と悩んだ。

 

 

そう考えあぐねていた時、学食である一人の男性を見つけた。「ナスカの地上絵を研究している」というペルー人研究員。声を掛けずにはいられなかった。

 

そのペルー人男性は研究員ではあるものの、30代で学生をしていた。初めはびっくりしたが、自分の身の上話を楽しそうに話す姿から感じられるエネルギッシュな部分にひかれ、どんどん距離は縮まった。

 

「知らず知らずのうちに、自らが置かれている現状ばかりに縛られていたということを気づかせてくれたという意味で、いい経験になった。無意識のうちに日本の常識を世界の常識だと信じ込んでいる自分がいたから」。

彼との出会いがあってから、授業やイベントなどの機会を通じて、多くの留学生と知り合うようになった。

 

「自分にとって本当に不思議でならなかったのが、留学という決断の中で、どうして山形を留学先に選んだかということ。当時は山形にいることものすごく嫌だったから」と振り返る。

 

ただ、はるばる海を渡って東京や大阪といった大都市ではない、一地方都市である山形まで来ている人がいることを知ると、中村さんも、今置かれている環境をもっと前向きに捉え「ここでやれることをするしかない」と少しずつ思えるようになった。

 

IMGP0740

 

日本では大多数の人が、18歳ないし19歳で大学に入学して、4年で卒業する。卒業後は、「新卒」として就職する。

いわゆる「横並び」の制度が残る日本とは異なり、諸外国では年齢に関係なく、学びたいときに大学や大学院に行き、興味関心のある分野を徹底的に学ぶという人が少なくない。

 

何歳になっても学び続ける姿勢。日本人だけの環境では決して得られることの無い、物事を様々な視点で見ることの楽しさ。当時の中村さんにとって、それまで抱いていた固定概念を覆された場面であったという。

 

「突然話したこともない人に話しかけて、仲良くなるなんて、今考えるととんでもないことしたなあ、なんて思ってるけど、話しかけずにはいられなかったんだ。考えるより先に体が動いていたのかな」。

 

 

それからというものの、中村さんは学内の国際交流サークルに遊びに行ったり、留学生と仲良くなるなどして、積極的に海外の人と交流を図ってきた。

 

 

 

人生の価値観を大きく変えた出会い

 

 

「それまでよりは、大学生活に対して前向きな姿勢を持つことができるようにはなったけど、相変わらず大学は嫌いだったし、自分と向き合うということをしてこなかったと思う」。

 

そう話す中村さんだが、大学1年生の春休みに転機は訪れる。大学の助成金を得て、フィリピンのセブ島に3週間語学留学した時のことだ。

 

セブはフィリピン屈指のリゾート地として有名な場所で、多くの観光客が訪れる。メインストリートには、豪華な装飾を施した路面店が立ち並び、特にショッピングモールは途上国であることを忘れさせる雰囲気だ。

 

ショッピングモールの中では多くの親子が買い物を楽しんでいた。ただ一方で、ショッピングモールの一歩外に出ると、そこには全く別の世界が広がっていた。

 

それは「物乞い」をする少女の存在だった。

 

「途上国では珍しいことではありませんが、当時の自分にとっては本当に衝撃的で。色んな思いが自分のなかを駆け巡り、とりあえず今までに感じたことがない感覚に襲われたんです。自分が見てきた世界の狭さ、物乞いの少女を目の前にして何もできない自分の無力さ、努力しない自分への失望。

それまでは、学歴コンプレックスだから、地方大学の学生だから、自分の置かれている環境ばかりを否定しました。自分がどう生きるかということを考える姿勢が抜け落ちていたんです」と中村さんは唇をかみしめながらこぼした。

 

物乞いの少女との出会いにより、自分の悩みがいかに贅沢なものであるかを思い知らされた。「今のままではダメだ」中村さんは焦りを感じた。

 

 

学びたいのに、学ぶ機会を得られない人がいる。明日をも知れない毎日をやっとの思いで生きている人がいる。

どんなに貧しくても

どんな家庭環境、文化でも

誰しもが、夢を実現するために全力で頑張れる

そんな世の中を創っていきたい。

 

photo by Takehiro Nakamura

photo by Takehiro Nakamura

 

「セブから日本に帰国した後は、とりあえず自分にできることはないかと必死でもがきました」。

 

「自分に出来ることは何かを知るため、まずは知識をつけよう」と意気込み、スラム街や貧困、開発学についての文献を読みあさった。英語の勉強も本格的に始めた。

 

勉強していく中で、夢を叶えるための一手段として見つけたのが「BOPビジネス」だった。

 

BOPビジネスとは「BOP層」と呼ばれる途上国の低所得層をターゲットにしたビジネスのこと。現地における様々な社会的課題(水、生活必需品・サービスの提供、貧困削減等)の解決に資することが期待される、新たなビジネスモデルだ。

「ボランティアでは、資金や時間といったリソース面においての限界がいずれ出てくる。支援継続をしていく上では、ビジネスとの融合が求められるという考えが腑に落ちたんだ」。

 

方向性を定めたら、一直線。中村さんは山形を飛び出し、夢を実現できる場を探し回った。

 

「セブで感じた思いを形にしようと海外研修のあるサマーインターンに応募したり、インド相手にBOPビジネスをしている東京の学生団体に入ろうと関係者にかけあっていました。とにかくアウトプットできる場を探していたんです」。

しかし、なかなかそういった場にマッチすることは難しく、悶々とした日々を送っていたという。

 

そんな日々を打ち破る朗報が飛び込んだ。大学2年の冬、悩み、苦しみ、愚直に努力し続けた結果、勝ち取ったマンチェスター大学留学の切符。試験合格後間もなくして、文部科学省が行っている留学助成制度「トビタテ日本代表第3期」に選出された。そして、2015年8月に念願であったマンチェスターでの生活をスタートさせた。

 

「やりたいことを見つけることが出来ず悩んでいる人もいると思う。自分の場合は『国際開発』だったんだけど、人それぞれ色んな生き方がある。『これだ』と思えることに出会ったら、自分から動いていってほしいな。結果はどうであれ、やらないことへの後悔はしたくないから」と中村さんは力をこめた。

 

photo by Takehiro Nakamura

photo by Takehiro Nakamura

 

「国際交流」「国際開発」-。中村さんの今をつくりあげてきたものだ。

留学後は、どのようなことをしていこうと考えているのだろうかと聞くと、中村さんは「情報発信」と答えた。

 

今の自分に出来ることを一つずつ

 

たくさんのものを周りからもらった。次は、自分が返していく番だ

 

現在山形大学には、留学経験者の情報を発信するためのオフィシャルな場がないといっても過言ではない。学校で提供されている留学に関する情報が表面的であり、授業の内容や留学費用といった生の声がまだまだ少ないのだ。

 

「『留学したい!』と思っても、行動する段階になった時、情報が少ないあまりに右往左往してしまい、留学自体を諦めてしまう人も少なくないと周りの友人等を見て感じていたんだ。自分自身も情報収集にはかなり頭を悩ませたから。これから留学する人にはより良い環境で臨んでほしいと切に思っている」。

 

とはいえ、中村さん自身、留学ということもあり、できることは限られてくる。

 

「学業と並行しながら、留学や国際交流に興味がある山形の学生に呼びかけてFacebookのグループを作り、それぞれの海外体験をシェアするということをしているんだ。日本に帰国したら、海外留学や国際交流に関する体験談をざっくばらんに語り合えるような場づくりをしたいと思って」。

 

IMGP0746

 

 

また、「高校生へのキャリア教育」にも関わりたいという。

 

中村さんは、都内の大学に通う高校の同級生とSYP山形(Seek Yourself Project山形)という団体を立ち上げ、組織している。

「自分と彼が今年留学することもあって、構想を練っている段階ですが、二人とも帰国したら、本格的に始動するつもりです」。

 

団体を立ち上げるに至った経緯―。それは中村さん自身の実体験からだった。

 

「高校生の時にする『大学選び』って、ネームバリューや立地といった分かりやすい指標で決めがちじゃん。自分の興味関心あることにもっと素直になっていいんじゃないかと思う。自分自身も夢を見つけてからやっと明確な目的意識を持って物事に向き合えるようになったから」。

 

確かに偏差値は分かりやすいものさしだ。いわゆるランクが「上」の大学に行った方が人との出会い、切磋琢磨しあえる環境に恵まれる確率が高いということは否めない。

 

「一番考えなければならないのは、「どんな勉強がしたいか」とか「将来どんな自分でありたいか」とか「自分が熱中できることは何なのか」ということじゃないかな。進路を決める上で、そういったところを考え受験勉強に励む必要がある」と中村さんは言う。

 

「現時点では、高校生を対象にしたワークショップをすべく構想を練っているところです。高校生のロールモデルとなるような大学生に、大学生活や校外で活動していることについて高校生の前で話してもらい、自分自身についてや自分の将来について考えてもらうきっかけをつくりたい。自分の住んでいる世界は狭いということを知ってほしいんだ」。

 

人それぞれ、価値観は違う。生き方に正解はない。自分がやりたい事が、必ずしも他人が望んでいることとは限らない。

迷いもあるだろう

それでも、現状を変えたいと思っているから行動している。

突き動かすものがそこにはある。

 

「人生を変えるきっかけはそれぞれ違った形で突然やってくるものだと思う。ただ、途上国で人生を変えた一人の人間として、途上国に対して何か役に立ちたいと思うし、周りの学生に対しても自分の出来る範囲できっかけ作りの場を作っていきたい」そう語る中村さんの瞳は輝いていた。

 

 

インタビュー・文 鈴木里緒 写真 三浦沙樹 写真提供・インタビュイー/中村剛大