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No.45

 

名前:山田安友

大学:立命館大学政策科学部4年

twitter:@yuzutomo

ブログ:「人生一度だ燃えにゃならん」

 

印刷業界・大学生が選ぶお気に入りの学生フリーマガジン人気投票第一位

JP産業展フリーマガジン・コンテンツコンテストベストフィードバック賞受賞。

 

フリーペーパー制作団体mocoの輝かしい実績である。

この団体を立ち上げ初代代表として牽引してきたのが立命館大学の山田安友(やまだやすとも)。

爽やかな外見からは想像出来ない人一倍の熱さを持ち、周囲の人を巻き込む魅力を放つ。

 

今回の取材ではそんな彼の努力の足跡を追った。

 

★祖父の存在

 

山田はまだ幼い頃からずっと「お祖父ちゃんみたいな人になりなさい」と母に言われて育った。

 

「お祖父ちゃんとの記憶は、小学校のときにプラモデル買ってもらったり、一緒に野球をしてもらった記憶しかなかったんですよ。

あとはお葬式の思い出しかないんです。当時はおじいちゃんがこの世界から居なくなったことにただ単純に泣きじゃくりまくってたんですよ。

でも、そのお葬式に友人や生前お世話になった人が最後の別れを言いに200人くらいの人が来てたんです。

いまふと思い返すと、普通の人でこんなお葬式来ないじゃないですか?

そこでお母さんに「おじいちゃんは何してたの?」と聞いたんです。

そうしたら「IHIの子会社の社長→本社会長を務めていたんだよ。」と教えてくれたんです。

当時は会社とかよく分かんなかったので、「へぇ、どんな人だったの?」と聞くと

「おじいちゃんは人から愛される社長さんだったよ。」と言ってたんです。

素直にそれを聞いて、凄い憧れを抱いたんです。

だから今、「人から愛される経営者になる」という目標を持っています。」

 

祖父が他界した後は両親の離婚を経験する。1人になった母を「絶対俺らで幸せにしよう」と兄と誓いそれがモチベーションの源泉になった。

 

だが、山田のモチベーションはそれだけではなかった。

一番身近な兄の存在である。

 

★とにかく兄貴に近づきたかった

 

「典型的なんですけど、僕ら兄弟はいつも比べられてました。

小さいころのエピソードで言うと、小学校のとき兄弟で野球にのめり込んでいたんです。

家の前が町営の大きな多目的グラウンドで、ずっと二人でキャッチボールとか対決をしたりしてたんです。

僕の兄貴は2つ上なんですけど、小学校の2歳差となると体格的には結構な差じゃないですか?

だから何をやっても、勝てない。笑

しかも兄貴は学級委員長などをするヒーロー的存在。

母からは「お兄ちゃんに負けないで」と言われながら育ちました。」

 

兄と比べられた山田はそこで「兄貴は別次元の人だ」などと思わず、その背中を追っていった。

 

「単純に言うと、僕は負けず嫌いなんですよ。

野球でも時々三振を取れるのが快感で、とにかく兄貴に負けないように負けないようにと意識して壁当てしたり素振りしたりしてました。

ここで、自然と「兄貴に負けたくない」っていう意識が芽生えてたんでしょうね。」

 

高校に入学してからも山田の「兄貴のようになりたい」という気持ちは変わらなかった。

 

そのキッカケとなったのが愛知県高校生フェスティバル。

「公私格差の是正」をテーマにした愛知県で年に2回行われる、1万5000人規模の合同文化祭だ。歌手の西野カナやnobodyknows+などのゲストも招かれ、多いに盛り上がるこのお祭りで兄は実行委員長を務めた。

山田は感動の円の中心で胴上げされる兄の姿を目の前で見て、改めて心の底から尊敬する。

 

 

 

それからというもの山田は「リーダーシップ(人を巻き込む力)」を得るために様々な活動に取り組んだ。

 

名古屋高校では生徒会長を務め、また「阪神淡路大震災で父母を亡くした中高生に奨学金を贈る会」の会長として震災孤児への支援募金活動、パキスタン大地震写真展の開催、募金活動によって得たお金でパキスタンに学校を2つ建てた。

そして兄の背中を追い続けてきた山田は兄と同じ場に立つことになる。

 

第42期愛知県高校生フェスティバル実行委員長。

 

 

 

今度は山田が歓喜の輪の中心にいた。

愛知県の高校生が学校の枠を越えて集まる実行委員会でまぎれもなくリーダーシップを発揮していたのだ。

そして、来場者にも「私学に来て良かった。」という言葉をもらった。

 

しかし、これだけの実績を積んでも兄からは「お前はまだまだだね。」の一言だった。

 

 

 

★高校時代の自分に負けたくない

 

 

 

高校生の時に1万人を越えるイベントを成功させた山田。

 

その歩みは、1冊のフリーペーパーとの出会いにより大学に入学してからも止まらなかった。

 

 

 

 

 

「当時めちゃくちゃ悩んでたんですよ。

高校時代、仲間に囲まれ生徒会長とか実行委員長をしてた最高の思い出があった。

大学に入って、やはり何か物足りない。

 

そこで兄貴の一人暮らしの部屋に行ったんです。(大学も一緒で、下宿先も近かったんですね)

そこで兄貴に相談したんですよ。

「何か刺激があるものはないか兄貴!!」

と、言ったところ

ぽいっと何か渡してきたんです。

それが兄貴のゼミの先輩が作っていた学生フリーペーパーだったんです。

そのフリーペーパーを見たときに久しぶりに心がドキドキしたんです。

『学生が雑誌作れちゃうの!?』『え、俺これ作った人に負けてない!?』『絶対これを超えるものを作ってやろう!!』

当時僕はアホだったんで(笑)こんなことをモロに感じて、すぐに友達に声をかけましたね。

「フリーペーパー作ろうぜ!」って。」

 

 

 

 

 

一度やると決めたらそう簡単に山田の信念は揺るがない。

 

代表として組織づくりと運営の実施、一連の計画を作り、営業も務めた。

 

 

 

 

 

「経営者になるっていう夢があるので、フリーペーパーは一つの社会勉強かなと思って色んな人に聞きに回ったり、本を漁るように読んで勉強しましたね。機会を最大限に自己成長へと繋げられるかが鍵だと思ったので。」

 

 

 

 

 

だが、始めた当初は難しい問題にも直面していた。

 

 

 

 

 

「同じ想いをもった学生を集めるのが本当に難しかったです。

自分で言うのもなんですけど、周りに比べると熱いんすよ僕(笑)。

最初は同じクラスメートの友達に声をかけて始めたんですね。

でもクラスメートは、やっぱり普通の大学生だった。

でもでも、8人声をかけた中で2人は最後までずっとついて来てくれたんですよ。

最初は全員で9人だったんですけど、ほぼ3人で回しました(笑)。

特に仲が良かった2人というのもあったんですけど、とにかく熱い想いを語りまくった。そしたらついて来てくれました。

「大学生の心の温度を上げたい!」ずっとこう言ってましたね。」

 

 

 

 

 

困難を乗り越えながら、「学生のモチベーションを上げるキッカケを与える!」という活動理念を大事にしていった山田。

 

そうして、この想いがフリーペーパーmocoとして形になった。

 

 

 

 

 

 

「ほかと差別化を図らなくてはいけないということで、あえて「大学生しか載せない」フリーペーパーにしました。なかでも「活躍している大学生」に焦点をあてました。

他の学生にも刺激になればという想いで、インタビュー雑誌に特化したんです。

僕自身、「こんなのあれば読みたい」と思えるものを自分が生み出せました。だから自然にmocoが大好きになりました。」

 

 

 

現在は関西の学生を中心に3万部を発行する非常に大きなフリーペーパーとなり、冒頭にあげたような受賞を受けるフリーペーパーになった。それも大変嬉しいことだったが、mocoをやって一番よかったことはそれとは違うものだったと山田は言う。

 

 

 

 

 

「一番は、仲間と呼べる存在ができたこと。将来、結婚式に駆け付けるくらいの仲間達ですね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★山田安友の夢

 

 

 

 

山田はmoco以外にも、

 

 

 

京都市議会議員インターンシップで政治家のカバン持ち、

 

京都洛北ローターアクトクラブ社会奉仕委員長、平成元年会の会長、

 

レクリエーションボランティア団体オセロの設立に携わり“世界の子どもにワクチンを(JCV)”へ寄付を行うなど多岐に渡る活動を大学在学中行っている。

 

だが、それでもずっと目標だった兄には追いついていないと語る。

 

 

 

 

 

「2年前の兄貴と自分を比べれば実績的に勝ててるんですけど、リアルタイムだとやっぱり2年先を生きてる兄貴には勝ててませんね。

でも、兄貴に追いつこうと2年分を思い切り背伸びをしながら過ごしてきました。同世代よりはその分、成長してるんじゃないかと思います。」

 

 

 

 

 

「リアルタイムで考える」というあくなき向上心がこれまで山田を支えていた。

 

努力の足跡を追ってきた訳だが、最後に今後の夢を伺った。

 

 

 

 

 

「僕の夢は「親孝行を通して世の中を幸せにする」ことです。

こう思うのも僕の両親の離婚が起因しているんですが、

とにかく「母さんを幸せにしたい」という個人的な夢と家族がバラバラになるという「こんな辛い想いを他の人に味わって欲しくない」という想いが入っています。

これが僕の使命なんじゃないかと思います。

だから、これらをテーマに何かビジネスを起こして社会に貢献できないかと思っています。

なので、まずは某大手人材企業で修行をし、実力をつけてから会社を作るのが目標ですね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1番身近で大切な家族がモチベーションとなり、現在に至るまで努力を惜しまなかった。

 

また、決して現状に満足せずいつまでも向上心を持ち続けてきた。

 

だからこそ、山田は多くの仲間とともに喜びを共有できたに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

そんな彼が兄に追いつけたと思える日が来たとき、

 

世の中には今よりも多くの「幸せ」が広がっているかもしれない。

 

 

 

【文…長瀬晴信】