宮武さんトップ画像

大学進学という分岐点は残る者、出る者を生み出す。

それぞれが決断する人生の分岐点。


三重で生まれ育った彼女は3年という年月をかけて
東京で学生キャスター、ラジオアシスタントを務めるようになった。

その過程を支えたものは「挫折」だと言う。


ニュースを読む宮武さん。

への想いが始まり。

―まず気になったのはアナウンサーという夢を持ったきっかけ。

私は3人兄妹の長女なんだけどお兄ちゃんが高校野球で甲子園に出場したり、家族のなかでも一番期待されていた。「負けたくない」と思って、パパに「私って何になったら凄いと思う?」って聞いた。そしたら「アナウンサーになったら凄いんじゃない。」って言われて。パパとママに期待されるためにはアナウンサーにならなければいけないと思ったのがきっかけかな。だからきっかけは少し恥ずかしくて。

―家族の存在をきっかけに生まれた「アナウンサー」への憧れ。その想いを基に人生の方向性が形作られていく。

高校2年生の夏、名古屋の大学へオープンキャンパスに行ったときにアナウンサーになりたいことを教授に話したら「東京の方がチャンスは多いと思う」と東京の大学を進められた。東京を目指すと決めてからは「アナウンサーに絶対にならなきゃ」と思った。だから最初は「アナウンサー」って職業は私にただの憧れでしかなかった。

―高校卒業後、宮武さんは横浜市立大学に進学。夢を引き寄せるため、精力的に動き始めた。

大学に入ってからはアナウンサースクールに入って、アナウンサーの基礎を学んだ。アナウンサースクールって就活生や3年生になってから通うのが一般的から1年生が通うことが珍しかったのね。高校の時みたいに、先生によく質問もしてたから、目もかけてもらった。だからこそオーディションに受かったのかな。

もちろんアンテナは張るようにしてた。チャンスがあれば打席に立とうと。1年生から入ったおかげで3年生の先輩がたくさんいたから「アナウンサーになるためにはどうすればいいですか?」って聞いて回って、アナウンススクールの先輩からコンテストやオーディションの情報をもらった。

親に東京へ出してもらっているんだから動かなきゃと思って、オーディションを受けて、BS朝日の学生キャスターに受かってアナウンサーの仕事をしたり、ラジオの仕事をし始めるうちにアナウンサーになりたいっていう気持ちがさらに強くなっていった。

 995870_348716901934581_1188182457_n

能と求められる性。

―学生キャスターを務める以外にも、フードアナリスト、ラジオアシスタントなど多様な活動を行う宮武さん。その華々しい肩書きには裏打ちされた努力と葛藤があった。

アナウンサーはいろんなことに興味を持たなければ出来ない職業。最先端のものに触れながら時事問題にも勉強しなければいけない。だから万能選手になる必要がある。

高校の時はやっぱり成績が良いことで舞い上がることもあったけど、東京に出て自分の努力とは比べ物にならないぐらいの努力をしている子もいっぱいいるし、努力を見せない実力を持った子もいる。そこは最初辛かったな。自分は凡人だからもっと頑張らなきゃいけないって思った。

―その努力に代表されるのは彼女がアシスタントを務め、自身のコーナーも持つなでしこラジオ (presented by 日本フードアナリスト協会)。東京都渋谷区と青葉区で放送されるこのラジオを彼女は毎週、1時間半。1年に渡って、担当し続けた。場数を踏んだことで見えてきたものもある。

最初の頃はがっつり話すことを決めていったけど、なんだか違和感を感じるようになって。ラジオはリスナーと会話しているように聞こえないといけないと思うの。ラジオは凄く身近なメディアだから話し手の私が緊張すると、リスナーにその緊張感が伝わってしまう。より自然な感じを伝えるためにはその場で思ったことを口にするのがいいと思い始めてからは、前もって喋ることを決めないようになっていった。

あとはパーソナリティの人とプライベートでも仲良くさせていただいてたのも大きい。ご飯行ったりカラオケ行ったり、信頼関係を築くことで、本番中もとても楽しかった。その空気感がリスナーに伝わっていったんだと思う。

喋ることは得意じゃなかったし、今でも得意とは言えない。大事なのは場を楽しむか、楽しまないか。本番中は何も考えずに相手のことを好きになって、その場を楽しむことを考えるようになった。

 aa

い上がった先の自信。

―高校時代に抱いた想いは、大学進学という分岐点から夢へと近づき始めた。数々の活動をこなしながら、彼女自身が自らの成長を感じている。就活の時期を迎え、テレビ局へのエントリーシートも解禁された。夢が間近に迫った今、彼女は自分自身のこれまで、そして今をどのように捉えているのか。

全然順調じゃないと思う。あたしの学生生活は中身がないかもしれない。アナウンサーになりたいがためにやってきた活動でもあるから自分を形成するものが少ないのかなって感じるの。就職活動のなかでアナウンサーになるための活動をしてきましたとは言えないじゃない?アナウンサーになるために頑張ってきたのはみんな同じだから。

私の周りにはアナウンサー以外の分野でなにか1つのことを頑張ってきた子たちが多いんだけど、その個性が私にも欲しかったなって思う時もある。むしろ私の個性はゼロ以下かもしれない。これまでの人生もそう。ゼロ以下のところから始まって、ゼロをなんとか超えて、そこからいかに上にいくかって考えてきた。

だからこそ、原稿を読むのも1年生からめっちゃ練習してきた。自分を磨く活動にも走った。自分に自信を持てるものを身につけようといろんな活動に顔を出した。それは確かに今の私の自信になっている。

―「三重」という場所から「東京」に出てきたときもゼロ以下のスタートだった。繋がりも、スタートラインとなる基盤もなかった。ゼロ以下の位置から自信を積み上げる過程は容易なものではないが、宮武さんは何度もその過程を経験してきた。その支えとなったのは「挫折」だと言う。

悔しいって想いからずっと這い上がってきた。その過程は楽じゃない。でも、諦めたら諦めた道しか残ってない。落ちたらそのまま私が下降していく気がして。もちろん家族に注目してほしいっていう気持ちも強かったから。

家族もそうだし、大学に入ったら世界が広がって、アナウンサースクールやなでしこラジオでも自分の周りに優秀な子たちがたくさんいたことも大きい。一緒に過ごすことで、彼らの存在が原動力になった。

だからこそ、早めから動き出して準備する性格なんだと思う。失敗したくないから何か月前から動き始めて細かく予定を詰めていくの。心配性だね、だいぶ。挫折した経験を積み重ねる度に変わっていったのかな。

―数々の挫折を積み重ね、その度に分岐点と必死に向き合ってきた宮武さん。最後に「アナウンサー」という職業を手に入れて、実現したい未来を聞いた。それは情報番組を担当すること。

私がアシスタントを務めていたなでしこラジオも情報番組だったの。そのなかで、「卵料理」の豆知識で卵を溶くときにマヨネーズを混ぜて焼くと卵焼きがふわふわになるって知識を紹介したのね。その知識を持っていたら、例えば、お母さんが子供のお弁当に卵焼きを作るときに冷めてもふわふわな卵焼きを食べさせてあげることができる。

だから情報番組は視聴者の生活に少し楽しくするヒントを与える存在だと思う。子供や主婦、サラリーマン、お年寄りの人も見る一番身近に視聴者と繋がるところに魅力をすごく感じる。

ラジオをしていたときも全く顔も知らない人や放送されていない県の人から「毎週楽しみにしてます」ってメッセージをもらったことがあって。それはこのラジオをやっていなかったら出来なかったはずの繋がり。「アナウンサー」は放送を通して人と繋がっていける仕事だと思うし、だからこそ、自然で身近な情報番組に携わっていきたい。

 

今回、記事を書くにあたり、高校の卒業式以来お話をしました。
私は三重に残り、彼女は東京に出て。

インターネットを通して表れる精力的に夢を追いかける姿は、
どこかで私自身に影響を与えていたのかもしれません。

名前も、顔も、知らない人たちに放送を通して
日常を楽しくするヒントを与えるアナウンサーという職業。

等身大から積み上げてきた宮武さんだからこそ、自然に、身近に。
楽しくするヒントをあなたのそばに届けます。

 

【文章:江口春斗】
【写真提供: 宮武紗里】