佐藤真代トップ画

「しょうがないじゃん、田舎だし。」
退屈、不足、閉塞感。

“田舎”という言葉は時にこういった状態を表す際、使われる。

では、彼女の言葉へ入る前に1つの問いを置こう。
「田舎だから何もないは本当なのだろうか?」

IMG_0351

 

-佐藤真代さんは三重大学の2年生。
TGJ(津学生情報室)の代表として、年刊誌”Loupe”の発行を行っている。

”Loupe”は「津の学生が津の学生をターゲット」に作った津市内の情報誌です。今、外部からの委託分も含め、販売部数は1000部以上。2014年11月1日に開催された三重大学大学祭での発行を皮切りに、津市のお祭り「新町フェスタ」、そして「高虎楽座」というお祭りに出店し、学生だけでなく市民の方々にも”Loupe”を手に取って頂くことができました。

そしてその”Loupe”を発行しているのがTGJ(津学生情報室)です。TGJは2013年、津市と三重大学地域戦略センターが、連携して開催された「中心市街地活性化タスクフォース」の情報発信グループから生まれた活動で、2014年1月に発足しました。1月時点でのメンバーは現在のコアメンバーである4人でしたが、春に友達や新入生を集め、現在の19人体制が完成しました。

IMG_0350

「知らない」から始まった力探し。

―そんな彼女は名古屋出身であり、現在も名古屋から三重大学へ通う。
名古屋出身の彼女が三重大学入学後、「津」を広げていこうと思ったきっかけは何だろう。

私は地元である名古屋駅周辺、そして名古屋駅近くの円頓寺商店街の界隈が大好きでした。
そんな私が全く知らない津市で大学生活を送る中で、「自分が関わった町で楽しく生きていきたい」という想いが強くなって。津を好きになっていくために、津の魅力をもっと知っていきたいというのが想いの出発点でした。

―しかし、大学に通う日中を津で過ごすとはいえ、夜や週末は名古屋で過ごす。
どうして活動の場として”津”を選んだのか。

確かに、週末は名古屋で過ごすことのほうが多い。だけど、津での大学生活が私の生活の基盤となっているなかで、たとえ帰る場所が名古屋だとしても、生活空間を楽しく生きていきたいという想いが強かった。また、津を盛り上げるイベントよりは、津の魅力をみんなに知ってもらう「情報誌」に関心が移っていきました。

―「情報発信」という構想段階から「情報誌」の発刊まで活動を主導してきた佐藤さん。
自分が魅力を知って満足するだけではなく、「みんな」に魅力を伝えたかった理由。

「結局、津って何もないよね。」って言われるのがすごく辛かったんです。「何にもなくないよ、それはあなたが知らないだけだよ。」とすごく言いたくて。そんな彼らに津の魅力を伝えたいという気持ちは活動を進める上で、大きなモチベーションでした。

―その想いの強さは周囲の友人も動かしていく。

19人のメンバーのうち、津市出身者は2人だけでした。それなのになぜ、彼らはTGJの活動に関わってくれたのか。それは彼ら自身も津の魅力を知りたかったから。私自身もTGJの活動を始めた当初、「私も知らない津の魅力を知りたい。そういう人他にもいない?」って呼びかけたら続々と集まってくれた。みんな津に「何か魅力はある」とは考えていたけど、それが具体的に何かは分からなかった。その何かを突き止めるために、TGJに関わるようになってくれた。

―そして19人それぞれが取材で感じた魅力は1冊の本に凝縮された。
たくさんの魅力を「まだ知らない」読者へ届けるために凝らした工夫。

取材先の店名と情報だけを掲載するのではなく、お店の方々の名前、そして想いをそれぞれ掲載したことですね。彼らの想いを普遍的な文章ではなく、お店や津への想いを読者に届けられるように心掛けました。
また、お店の情報だけではなく、人のインタビュー記事や体験ができる場所の紹介など、「お店」の情報誌ではなく、「津」の情報誌として心がけた点ですね。

sato3

 

さな変化を生む1冊。

―2014年、11月1日。”Loupe”は学生、そして市民の手に渡り始めた。
素直な反応が読者から彼らに寄せられる。

学生や市民の方々から「改めて津の良さを知ることができた」、「学生目線で、ずっと津で育ってきた人でも知らない場所を知った」という声を多く頂きました。”Loupe”は「自転車に乗って素敵な津を探そう」をテーマとしているのですが、実際に自転車で回る方もいたようです。そんな声を聞くと、津の魅力を広める”Loupe”の役割を今後も果たしていくことができると考えています。

―構想段階から、団体の発足、そして取材から発刊までの期間は約1年。
改めて、この1年を振り返ってもらった。

取材を通して、学生、社会人問わず、たくさんの素敵な方々と関わることができました。みなさん、自然に受け入れてくださって、私たちの活動を応援してくださって。あとは食。うなぎや天むす、苺大福など美味しい食べ物もたくさんあります。人、食、たくさんの魅力と出逢うことができましたね。

―1年を通したたくさんの出逢いは、心境の変化へ繋がった。

私は津でTGJの活動を続ける中でも、ずっと名古屋で就職したいと考えていたんです。それだけ名古屋も好きですから。でも、最近いろんな津の人とお話をするなかで、津で働くのも面白いと思うようになってきました。どれぐらい好きになったという指標はないけれど、名古屋への地元愛が強い自分にとって、別の場所で働くことを視野に入れるようになったのは大きな変化だと捉えています。
―発刊という分岐点を迎え、今後TGJはどのような活動を見せていくのか。

まず、TGJで今後重要になるポイントは、継続だと考えています。単発ではなく、1年に1回というペースで、私や今の世代が引いた後も活動が続いていく仕組みづくりを行う必要がある。津といえば”Loupe”。そんな存在になっていくために、形が変わってもいいからそのときそのときのニーズに合わせて”Loupe”を継続させていきたいですね。
もちろん、TGJの活動は”Loupe”を作るだけに活動を限定していません。町歩き企画や取材したお店とのコラボ企画など、津のことを知ってもらえるような、”津情報発信室”としての役割を担い、津の情報を発信していくために、来年に向けて仕掛けていきたいですね。

―ここまで見ると順風満帆に見える佐藤さんの活動。
その裏には、大学生活で始めて陥ったジレンマがあった。

sato4

改めて感じたの力。

―幼少期から高校時代からリーダーを務めることが多かったと言う。

昔からやりたがりで。幼少期から、高校時代まで、リーダーや代表職を務めることが多かった。自分で何かしたいという想いが昔から強かったのもありますが、単に目立ちたがりなのも大きい。(笑) それはもしかしたらエゴなのかもしれないけど、そのエゴが何かを変えることができるのであれば,バランスさえ取れていればいいと考え、生きてきました。

―そんな佐藤さんが大学生になって迎えた初めての挫折。

口では偉そうなことを言って、行動が伴わない。できると思ってきたのに、何もできていない。なんとなく上手くやれてきたのに、初めて自分は「何もできない人間かもしれない」と思った。

―そのとき彼女を支えたのが、津で日々を共にしていた仲間だった。

その時期に相談した先生や周りの方々に「周りの人がいるんだから自分1人で何でもできると思わないほうがいいよ」と言ってもらえて。そこから「みんなでなにかを作る」という考え方をすることができるようになりました。

―その分岐点は彼女に代表職を務める彼女にとってとても大きかった。

思い悩んだ時期、沈んだ時期に、相談する仲間がいた。「こんな話聞いてくれないだろう」と思うような話でも聞いてくれる仲間がいた。代表がやらなければいけない仕事だと思い込んでいた部分を、「背負い込みすぎだよ」と言い、支えてくれた。
TGJの発起人は私。だけど、他のメンバーがいなかったら何もできなかった。それぞれの想いが集まって、1冊の本ができあがった。集団の強さを改めて感じましたね。

―初めての葛藤を乗り越え、今、彼女が見据える”佐藤真代”としての未来は。

私の夢は、名古屋、津、岐阜の商店街が連携する鍵になること。また、私の地元の円道寺商店街にもっと関わっていきたい。東海地方の「まち」に関わって生きていきたいですね。
そのためにまずはTGJの活動の継続。そして活動の認知を広めていくために、また、三重だけでなく名古屋も盛り上げていくために、名古屋市の親善大使に応募しようと考えています。より積極的に、東海のために動く存在になっていきたいですね。

―自分が生きる場所で、仲間、そして魅力を広げる活動を進める佐藤さん。
そんな佐藤さんに最後にした質問は、「あなたにとって繋がりとは?」

私は、人と繋がることで、自分の無力さを知り、人の力の大きさを感じ、共に頑張ることができた。それは私の好きな商店街のコミュニティの形成の仕方に共通している。商店街も、繋がりで成り立つもの。自分たちが作りたい町への想いに基づいて商店街を立ち上げている。「繋がり」は情報の共有を生む。まちを考えるうえで、人の人生を考えるうえで、とても大切な要素だと思います。

sato5

1人の学生が「知らない」土地を、
「居場所」に変えていった過程。

「『つまらない』ではなく『知らない』だけ。」

今、あなたの置かれた場所で。
あなたはどのように生きていきますか?

【文章: 江口 春斗】
【写真提供: 佐藤 真代】

Sato Mayo Contact

Twitter

Facebook