『誰もが明るく楽しく生活するため、「充実した余暇活動」を共に楽しむ』

そう掲げたサークルが兵庫県神戸市にある。
しょうがいを持つ方が多く所属する『サークルひまわり』
一体どんなサークルなんだろう?

話を聞きに行った私を待ってくれていたのは、
代表を務める72歳のおじいちゃんだった。

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写真左下 横山さん サークルひまわり代表。ひまわりではスイミング教室を担当している。御年72歳
写真右下 瑠美さん ダウン症。働きながら水泳やシンクロの活動に参加している。
写真左上 近藤さん ピアノの先生をしている。娘さんがダウン症。
写真右上 成瀬さん 瑠美さんのお母さん。

サークルひまわり
1996年1月1日設立。主に知的しょうがいのある子どもたちと、その家族及び、共に活動を楽しめるボランティアたちによるレクリエーション・サークル。
スイミング教室、音楽教室、フラダンス、シンクロ、乗馬、フットサル、パン教室など、様々な活動を行っている。

ダウン症とは?
正式名はダウン症候群。生まれつき、21番目の染色体が1本多いという先天性の染色体異常。

サークルひまわり誕生

近藤さん:「まり(近藤さんの娘さん。ダウン症)が6歳の時のことです。
水中で動くのはいいストレス発散になる上、体力をつけ、皮膚を鍛練できるということで、
プールに入ることを子どもを診てくれているお医者さんに薦められたんですね。

でも、どこの水泳教室に掛け合っても入れてもらえなかったんです。
そこで子どもが同じ施設に通っているお母さん仲間に聞いてみたら、みんなも一緒だった。
でも、どうにかしてやらせたいという想いも一緒だったんです。」

“だったら、プールのコースを借りて、先生を引っ張ってきたらいいんじゃないか”

仲間からはそんな声が上がった。

 

近藤さんと横山さんの出会い

“しょうがいのある子どもに水慣れをさせてあげたいんです”
ある日、そう言って近藤さんが医師の紹介を経て横山さんを訪ねてきたという。
その頃、横山さんは「学校にプールができ、授業で水泳が行われるのに、子どもが泳げないから何とかしてほしい」
という多くの声に応え、ボランティアで泳げない子どもの水泳教室をしていた。

最初は戸惑ったという横山さん。何せ、しょうがいを持った子どもに水泳を教えた経験がないのだ。
もちろん一緒にやってきたメンバーの中にも、経験者はいなかった。

それでも、何か役割を果たせるならやってみよう。
1年やって、あかんかったらやめたらいい―。

これがサークルひまわりの始まりだった。

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大変身!平日はサラリーマン、休日は『横山先生』

こうして右も左も分からないまま始まったしょうがいを持つ子どもを対象にした水泳教室だったが、
しばらく経った頃には、横山さんは子どもたちから大人気の横山先生になっていた。

近藤さん:「横山先生は子どもたちが楽しいと思うようなことをしてくれるんです。
プールには怒られるけど、子どもをどーんと放り投げてみたり(笑)。」

横山さん:「泳ぐことよりも、どれだけ子どもたちの中に入っていけるかを考えるのにとにかく必死でした。」
当時を振り返って、成瀬さんは言う。
成瀬さん:「熱心に何かさせてあげようとすると、子どもたちは嫌になっちゃうんですよね。
だから横山先生の、『楽しいことしようよ』という姿勢が良かったんじゃないかなって思います。」

そして何より横山さん自身、どうしようもなく子どもたちに魅せられていったという。
横山さん:「子どもたちといると、
自分を嘘やごまかしで着飾っていないか?
と問われるんです。
嘘やごまかしが潤滑油になっていたりするこのご時世、
子どもたちは、決して自らごまかしたり、嘘をついたりしないんですよ。」

自分が問われる。

それが、続ける理由だと横山さんは言う。

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そしてもうひとつの理由は、お母さんたちの底抜けの明るさだ。
横山さん:「自分の子どもにしょうがいがあったら落ち込むと思うんですよ。
でも、お母さんたちは皆明るい。その明るさってどこから来るのかなって不思議に思っていたんです。」

そんな時、お母さん方の文集を読む機会があったという。
そこには、子どもと死のうと思った日々のこと、それでも現実を受け入れ、
そこから子どもと一緒に覚悟を決めて生きていこうとする、母親たちの決意が記されていた。

横山さん:「生きていくことの難しさを受け入れ、
“この子と一緒に生きていこう”
というお母さんたちの決意を知ったときに、
僕が役に立てることがあるならしよう、そう思ったんです。」

横山さんは子どもたちと深く関わっていく中で、
お母さんたちが誰からも聞くことのできない子育てをしているということに気づいた。
そこでお母さん方を集めて、話し合いの場を設けたという。

近藤さん:「水泳教室をお願いした目的は子どもの水慣れだったので、
他のお母さんと繋がることの必要性は考えてもいなかったんです。

だから横山先生に『お母さんたちで集まって話し合いしようやないか』なんて言われたときは、
先生はお茶飲んで話すのが好きなんかなって思ったんよね(笑)。

でも、それからは先生の考えてることが分かるようになったんです。」

プールの時間にお母さんたちで集まって話をするようになってから、
子どもの情報交換やお母さんたちでやりたいこと、してあげたいことが次々にあがってきた。

いつの間にか、お母さんたちもプールの時間が楽しみになっていったという。

 

会社を辞めて、子どもたちのために生きる

横山先生の人気は止まらない。
評判は広まり、いつの間にか抱える生徒は90人を超えていた。

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土日だけでは子どもたちを見ることができない―。
ついに横山さんは49歳のとき、会社を辞めて子どもたちのために生きることを決意した。

子どもたちが「やりたい!」と言ったことは一緒に挑戦してきたという横山さん。
横山さん:「したいと思ったことができるようになったら、それを楽しまないと損じゃないですか。
楽しむことができれば、もっと子ども自身も自信を持つだろうし、世界も広がる。
そうやって子どもも成長するんじゃないかなって思うんです。」

そんな中、横山さんにひまわり卒業のピンチが訪れる―。

 

横山先生卒業!?

もともと腰が悪かった横山さんは、2014年の夏に手術をすることを決意。
しかし、術後の経過はあまり良くなく、一時期は起き上がることが困難なほどだったという。

横山さん:「病床中は遊びたいのに、体が動かないことが辛かった。
そのときに、子どもたちも同じように感じることがあるんだろうなって思ったんです。
自分がしょうがい者になって、まだまだ自分は子どもたちのことを分かってあげていなかったんだなって。
20年やってきて、やっと気付かされたんです。」

すっかり元気を失くしてしまった横山さん。
そんな横山さんを救ったのは、瑠美さんだった。

『横山先生は強いんやからな。頑張って』

飾らない、お世辞でもない瑠美さんの言葉。
それが横山さんのエネルギーになったのだ。
横山さん:「るぅちゃん(瑠美さん)にそう言われて、僕は強いねんな、頑張らなあかんねんなって思ったんです。
正直、ひまわりもこれで卒業やな…って思ってたんですよ。
だけど、今は死ぬまで一緒に楽しんでいこうと思っています。

子どもたちの言葉はいろんなところで励まされたし、考えさせられたし、自分の人生を変えてくれたんです。
この年になっても、子どもたちと一緒にいろんなことができるのは本当に幸せなことだなと思います。」

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笑顔で語る横山さん。
この社会において彼・彼女たちが果たしている役割は、人間の良心を育ててくれることだと続ける。

横山さん:「損得を考えたりせず、自分のもっといいところを出してよって言ってくれる役割をもっているんだと思ってます。
本当に、素晴らしい存在です。」

最後に瑠美さんはこう言った。
「横山先生は必要よ。」

横山さんの顔に、ひまわりのような笑顔が咲いた。

【文・写真 市川陽菜】