インタビューすることになったきっかけはわたしの先輩の一言
国境の女っていう、筆者と同い年の
面白い子いるで、インタビューしてき
国境の女?なんだそれ?さっそく取材だ。

名前の興味からはじまったインタビュー。
その内容はわたしが考えていたものと全く違うものとなった。
今回わたしは、ヒロシマを考えヒロシマを遺そうと活動する安藤真子のこれまで と これから をインタビューしてきた。

 

 

————まず、わたしがまこさんにインタビューするきっかけは私の先輩がまこさんを「国境の女」と呼んでいたからなのですがそれはどういう経緯でなんでしょう?
インタビューを受けるから色々質問の予測はしていましたが入りがまさかそことは…笑
多分わたしがカンボジアとベトナムの国境を超える瞬間の写真を彼女に送ったところからですかね。国境か…そう考えると北朝鮮と韓国の境界線も見に行ったりしていますね。でもそうやって呼んでいるのは彼女だけですよ!笑

 

(カンボジアとベトナムの国境での一枚)

 

 

————なるほど。すみませんどうしても気になっていまして。よく外国には行かれるのですか?

はい!ドバイに住んでいたこともありますし、家族と旅行としても行きます!
自分の人生のテーマが戦争とか平和で、その関係で最近は内戦の歴史を知るためにカンボジアに行ったり、朝鮮戦争について知るために北朝鮮と韓国の境界線の38度線を見に行ったりしていました。今年の夏はインドに行く予定です!

 

 

————行ってみなきゃわからない事もたくさんありますものね
人生のテーマが「平和」や「戦争」になったのは何か理由があるんですか?

まず平和っていうものに興味を持ったのが広島出身だからということが大きいです。
わたしは平和の中でも「ヒロシマ」という視点から見た平和を後世に伝えたいと考えているのですが、
広島って8月6日の原爆の話を授業でしたり関係のある映画をみたりと幼い頃から平和に関しての教育を受ける機会が多分他府県よりたくさんあるんだと思うんです。自分自身で受けた初めての一番大きな衝撃は小学生のときに見た東京大空襲のアニメですね。

こんなことが今のわたし(小学2年生)に起こったらパパもママもわたしの大事な人が死んじゃう!どうしよう!って恐怖で四日間くらい十分に眠れなくなりました。笑

加えて家庭環境も大きいです。
原爆ドームは昔取り壊されそうになったことがあるのですが、理由は原爆ドームを見るとつらいあの日のことを思い出すと言う人が多かったからなんです。

でも、あの建物こそが原爆というものの恐ろしさを後世に遺して行くだろうから原爆ドームは遺さないといけないという声が大きくなって、とり壊し反対の活動が行われ今の原爆ドームがあるんです。

その原爆ドームを遺す活動に祖父祖母が関わっていまして。それを小さい頃から見て育ったから、それまでは平和について考えるとか活動するということが特別なことでなかった私に平和を遺さないといけないと思うようにさせたのだと思います。

それに加えてほんとに私も最近知ったことなんで詳しくはわかっていないのですが…
その祖父母のもとで育った母親が大学で学んでいた幼児教育の中で「幼子に平和の種子を」というテーマで平和とか誰かを大切にする心を持たせる教育とは何だろうと考えていたらしく…わたしはもう幼いころから平和の種子として育てられていたらしいんです 笑

わたしにとっての家族は
一番の理解者であり応援者であり、最大の指摘者でもあります!笑

 

 

 

 

————確かにそれは他府県ではあまりない経験なので広島に生まれたという事が
大きかったのですね。中高ではなにか平和に関する活動をされていたのですか?

中学のときは戦争について色々知り考える機会があったにも関わらず
世界や平和に対して何もできないでいた為、無力な自分がひたすら悔しかったです。
ですが高校生になってから自分でようやく活動できるようになり「核廃絶!ヒロシマ・中高生による署名キャンペーン」という活動を二年間し、その第四期の代表をさせて頂きました。
また、世界的なサミットの議長をさせて頂いたり、ユネスコのプロジェクト関わったりしていました。

 

 

————それらはどういったものだったのですか?

学生でのプロジェクトはユネスコを通じて行った大きなイベントです。
わたしの通っていた学校では授業で映画観るなど平和や人権について考える機会が多くあったのですが、
友人が行っていた公立高校や男子校ではそういった機会が少なく同じ広島でも「きっかけが転がっているかいないか」という差があったので
私たち同じ世代の高校生が高校生に対して平和のことをもっと考える機会をつくろうと行われたものでした。その活動でユネスコの平和大使と認められたりもしました。

署名活動のほうですが、これが私の高校生活最も積極的に取り組んでいた活動です。
活動自体はシンプルで平和公園や市街地で核兵器をなくすための署名を集めて国連に提出するというものでした。

「若い世代が核兵器をなくす活動をしてくれているのが希望だ。」や「あなたが世界を変えるのよ。」と署名してくださったかたに言われたことは今でも心に残っています。

そして忘れてはいけないのがヒロシマ・アーカイブでの活動です。首都大学東京の教授がグーグルアースの地図の上に浮かぶ被爆者の顔をクリックすると被爆証言が読めるとかその動画が見られるというシステムを作っていらして、その現れる証言を集める活動を3年間していたんです。
しかもこの間、これをニュースゼロに取り上げて頂いたんですよ!!!

(活動が新聞に取り上げられた際の切り抜き)

 

 

————それだけヒロシマに対する熱い思いがあるのに関西にでてきたというのには何か訳があるのですか?

ヒロシマの被害でなく加害について学ぶ機会があって、日本の加害に衝撃というか絶望したのが大きな要因だと思います。
他の国にこんなにひどい事をしていた日本の中の広島にいる私たちが「ノーモア ヒロシマ」と叫んだってなんの重みもないんじゃないかって考えたからです。

色んな戦争があり、だからこそ戦争の傷跡を知ってその傷跡に寄り添えるような人になってそれから平和を語れるようになりたいと思ったんです。

ヒロシマのことを客観的にみたい、ヒロシマを客観的に見られないと平和も多角的に見られない、だから一度広島を出ようと思いました。ヒロシマでの活動に関われなくなったことがもどかしくて広島の大学に編入しよう…!って考えましたけどね。

自分のことを木に例えた時に自分の幹はヒロシマの平和についてですが、幹だけじゃなく枝とか葉っぱも成長させることはけして遠回りにはならないと言われ、関西にいる今はそこにあたる広い範囲で見た平和とか、国際協力だとかに力をいれて取り組んでいます。

 

 

————大学内外で、主にどういった活動をなさっているのでしょう?

まず高校の時の署名活動の際に国際協力NGO Oxfam Japanと言うNGOと出逢う機会がありまして、そのつながりでイベントに参加したんです。
その団体が毎年春に貧困をなくしたいと考える大学生を集めて足下から変化を起こすとはどういうことかということを学ぶ企画を開催していて、
そこで得たものを各キャンパスに持って帰って活動するというものだったのですがその関係で一回生の時入学してすぐに自分で「MOVE」っていう国際協力系の団体をつくったりしました。

 

そこでの活動に加えて一回生の時はオックスファムで得たつながりをもとにちぇかねっとって言うネットワークの活動にも密に関わってきました。
その活動のなかで色々な人の意見、目指すものを知り自身でもしっかりとした気付きがありました。

(ちぇかねっとでの企画 ちぇかふぇで代表を務めた真子さん)

 

 

————それはどういったものだったのでしょう?

自分はヒロシマを遺すことに人生をかけるんだなあと。

大学に入って国際協力にも興味はあったし取り組みたいことはたくさんあったけれど
それはこの関西にいる人たちがきっとやってくれることなんだなあと思えて。
ここにいる人の誰も広島のことに人生をかけることはできないだろうって思って

今の被爆者や二世には原爆の記憶も近いし経験があるので繰り返してはならないということを必死に伝えている人達がたくさんいます。
しかし私たちの代、被爆者がいなくなる世代でこれに一生を捧げようと思う人はそう多くないと思うのです。

絶対人は誰かの大切なひとで、誰かの大切な人が不条理な理由で傷ついたり奪われたりするのを避けようと、自分の家族、民族、国を守ろうと戦争は起きるのだと思うのです。

そして私は誰かの大切な人が傷つく限りそれは平和でないと考えていて、誰も傷つくことのない平和な社会を実現したいのです。

と、言いましてもどうやって実現するのかっていうのはみえてなくて…それはまだまだむずかしい問題ですね。

 

 

————将来の目標を教えてください

広島と平和を後世に遺すことができる人間になることが目標です。あの日8月6日にどんなことが起きて、
その後ヒロシマがどう生きてきたかということに加え、それだけでなく加害の面だったり世界の戦争の話であったりを交えて「平和」というものはどうやったら実現できるんだろうかということをずっと考えていきたいと思っています。

あ、近い将来ならあんでぃープレゼンツ、平和ってなんなんじゃろ?ヒロシマの旅っていうのをこの夏広島で企画していましてそれを成功させたいと思っています!


(2014,8,8 企画での写真)

 

 

真子さんはインタビューの後日その企画が成功したことを報告してくれた。
今回は関西×ヒロシマの企画だったのだがこれからもこういった
真子さんにしかできないような企画をやっていきたいそうだ

これから失われてゆく被爆者の生の声

彼女にはそれを後に伝える日本の平和にとっても世界の平和にとっても
大切な役割を果たしてくれるだろう

 

 

( 文 )浦部咲帆 (写真) 安藤真子・浦部咲帆