僕には、”今”を捨てる勇気がなかったんです。

 

誰もやっていないことにわくわくする、固定観念や先入観を壊したい
彼を突き動かしたものは、強烈な『虫のひらめき』だった

 

僕はどんなことにも興味を持つタイプなので興味のない領域がないんです。今までやってきた野球も、受験勉強も、読書もそんな沢山の興味対象のうちの一つでしかなかった。

その他の活動も、”今という瞬間面白いことをやる”という感じでやっていました。けど、それが悩みにも繋がりました。自分は浅すぎる、本当の深みがない人間だなと凄く悩んで、自分の中の軸がブレブレな感じがしていたんです。『このままだと死ぬときに何も残らないかも』なんて危機感もありました。

大学入学以降もアクティブに活動し、”アツく動きまくるキャラ”でしたが、「篠原くんは何の人なの?」「何をやってきたの?」と言われて、明確な答えが出せなくて。本当に悔しかったんです。

表では明るく振舞っていましたが、独りの時は悩み、涙を流したことも多かったです。僕には、誰にも負けないと言えるくらいに挑戦しているものがなかった。色々と幅広くやってるけど何も持っていない自分。そんな自分が怖かったんです。

『これだ!』というひらめきがなかった。これで生きていこうってほどに熱中できるものがなかったんです。

 

「事業をやってても、講演会を主催しても、僕が心の底から挑戦したいのは”これじゃない”と何となく感じていました。」

表面上ではごまかしながらも、暗闇の中を彷徨っていた自分

 

僕の中では、早く自分の『これだ!』を見つけたかったんです。だけど、みんなの前では頑張っている人間でありたかった。承認欲求が強い人間なので。けど、見えないところではかなり悩んでいました。

2013年の行動を振り返った時も、嫌悪感ばかり残りました。日本という国の恵まれた環境に生まれながらも、今だけを考えて、表面的に楽しいことだけを追求する自分が嫌だった。暗闇の中に独り残された気分でした。

『目先の快楽だけを追求してても本当の自分には辿りつけない』そう感じていました。かといって、今やってることを捨ててまで自分探しの旅に出ることも出来なかった。その状況を分かっていても、”今”を捨てきれなかったんです、虚栄心で。

 

どうして彼の視点が、”自分”から”世界”に向いたのだろうか

 

僕は東大起業サークルTNKに所属しているのですが、新歓合宿(ビジネスコンテスト)のテーマが『豊かさとは何か』というものでした。僕は、その時に豊かさとは何かを本気で考えてみました。

当時の結論としては、豊かさとは”選択肢のあること”でした。例えば、発展途上国の農家に生まれた人だったら、世界がこんなにも広く面白い人がいるということを知らずに死んでいく。『耕している畑が、この村が世界のすべてだ』と思って、生きているのかもしれない。そういう意味で、多くの情報を持ち、なおかつ選択できること。それが豊かさだと考えました。

それでいうと、当時の僕も何でも出来る状況で、何でも選べる状況でした。豊かでした。けど、僕自身がその豊かさを全く生かしきれてないなって思ったんです。悲しかったですね。

 

地球に何も貢献していない、何も残していない
そうして生まれた彼の気づき

 

『今出来る、楽しいことを追い求める』のではなくて、『自分だから出来ることを他の選択肢を切ってでも選択すること。そしてそれを極めていくこと』が僕の幸せなのではないか。僕の今後の人生にとっても、大好きなこの地球にとっても、それが一番大切なことなんじゃないか、と。ふとそう感じたんです。

今、振り返ってみると、本気で悩んだ2013年は大事な一年でした。そういう時間があって良かったと思います。あの時期があるから今の僕がある。そうじゃなければ、虫にかける想いがここまで強いものになっていなかったと思いますし、あの悩み抜いた時期が『虫のひらめき』に繋がったんだと思いますね。

自分が小さい頃から大好きで極めてきた昆虫食を突き詰めていった先に、地球の食糧難を解決できたら幸せですし、環境問題を解決できたら最高に嬉しいです。最高に良い人生だったって死ぬ時に思えるはずです。

今は、不安もゼロではないですが、覚悟を決めなければいけない時期なのかなと思っています。愛する昆虫食に絞り、他の要素を捨てて、本気で挑戦していきたいなって。昆虫と共に生きたいなって。

 jugyo

 

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