ダシルバサミーケンジ1

周りを巻き込むためには、自分が動くしかない。 

 

どんな過去があっても、どんな環境であっても、

あなたが動き出した瞬間、それはあなたの財産になる。

  

「学生ドリームプラン・プレゼンテーション名古屋2014」実行委員長。

ダシルバ・サミーケンジ。

  

最高の未来の作り方。

 

 

ダシルバ・サミーケンジ
1993年4月29日ブラジルサンパウロ州生まれ。
学生ドリームプラン・プレゼンテーション名古屋2014実行委員長。
名古屋経済大学経営学部3年。

 

「学生ドリームプラン・プレゼンテーション名古屋2014」
2007年、東京で開催以降、各地で行われているイベント。
大人たちが10分間で自身の夢をプレゼンテーションする大会である
2014年、3月2日。
彼が委員長を務めた学生によって開催された当イベントは大盛況を見せた。

 

「学生ドリームプラン・プレゼンテーション名古屋2014」において、
実行委員長を務めきったダシルバ・サミーケンジ。

そんな彼はどんな子どもだったのだろうか。

小6から社長になりたいと言い始めて、中高、そして今。
なにかをしたいという思いがこれまでなかったんですよ。

高校まで野球をやっていたんですが、病気で1年の冬に辞めざるを得なかった。
 

 

そこで彼は自分と向き合った。

自分に何ができるか。
考えていくと、自分がブラジル人であること。

そして日本に来て、これだけ日本語が話せるということ。 

その財産を生かしたうえで、社長になってなにをしたいか。
考え方が変わってきましたね。 

ただ、その想いも
当初は周りに受け入れられなかったと言う。

高校の3年間は不良ではないけど、「良い」高校生ではなかったです。
遅刻しかしない、勉強もしない、大学に行くために何かをしたわけでもない。

周りも、「お前には無理だ」と。
そこで自分を見つめなおしたら確かに、口だけで活動をしていない。

だから大学に入ったあと、高校時代のように
無駄に過ごしたくなかったので動き始めました。

 

その経験が今に繋がると話す。

「お前には無理」としか言われてこなかった。
でもそれは周りが悪いのではなく、自分が可能性を周囲に魅せられていないから。

行動していけば、周りの反応も変わっていった。

ダシルバサミーケンジ4 

では、彼はどのように行動していったのか。

大学1年生の時は、社会人のなかに交じって
学生1人で起業セミナーに参加したりもしました。

そこで出来た社会人の方とのコミュニティを生かして、
社会人の方に1万円を1週間のうちに倍にする宿題などさまざまな課題を頂いて。 

そのなかで、ポルトガル語を話せること、ブラジル人であることを生かして
ブラジルについてのセミナー、ポルトガル語のセミナーを開いたりもしましたね。

ただ、活動を進めるうちに学生との関わりが少なくなっていって。

そこで、学生で夢を熱く語る人はいないのかなという疑問を抱いて、
調べると、「学生ドリームプラン・プレゼンテーション名古屋2014」を見つけました。

 

実行委員としてドリプラに関わっていったサミーさん。

ドリプラでは、具体的なビジョンが求められ、
自立型人材を輩出することが目的になっています。 

プレゼンターも「諦めない理由」を問い直していくことで、
見えてくる自分の事業ややりたいことに向き合っていけるようになります。

 

自分の力で乗り越えていく力を培う。それは実行委員も同じ。

俺は高校の時、病気で野球を途中でやめて、
ふてくされて、学生生活も適当にやってました。 

なにかひとつ大きなことをやり遂げた経験がなくて、
自分に負け癖がついている気がしたんですよ。

だから、自分がやろうと決めたことは途中で投げ出さないと決めました。

それは将来の自分のために。

自分がノリで始めたことでも、それを途中で投げ出すことは絶対にしない。
それに対して本気で、覚悟を決めて、やりきる。

それが自分にとって最高の経験につながると考えたんです。

 

その過程は。

めっちゃしんどかったですよ。

でも、最初に覚悟を決めたから。
ここで辞めたら、将来、俺が事業をやるとき、すぐに諦めるようになる。

ドリプラをあきらめたら、これからやろうとする事業でも、
そのやりきれなかった想いが残り続ける。

何かに依存するのではなく、自分に依存するようになりました。

 

環境に、人にケチをつけるのではなく、自分自身に向き合う。

確かに環境も悪いかもしれない。だけど、自分が直せるところはないか。
今、上手くいかなかったことに、自分の責任はないか。

それはしんどい。ただ、その向き合う過程は絶対に自分を強くする。

 

そんな彼のリーダー論。

人と関わるうえで、気軽に話しかけられる人を目指しています。
立場が上に行けばいくほど、オーラが出て、話しにくさが出てしまう。

だからこそ、フランクに話しかけられる人になっていきたいなって思いますね。

ダシルバサミーケンジ3 

アドバイスを求められることも多いリーダー。
彼はどう対処していくのだろう。 

逆に質問をしていきます。
本当は分かっているけど、言葉に出来ないこともあると思うんですよ。

そんなとき、物事を分解して、細かくして、
自分で噛み砕きながら整理していくとすっきりしていく。

 

押し付けにならないように。

俺が体験したこととその子が体験したことは別のこと。

結局は、自分で見つけ出して自分で出した答えが大事。
だから答えを出すきっかけが俺になればいいと思って、質問をしていきます。

リーダーとしての役割は「リーダーに依存させない」こと。
みんなにドリプラでの活動を次のステージに生かしていってほしい。

自分が抜けても、ドリプラが終わっても、活躍していってくれることが理想です。


そんな彼は今年、起業すると話してくれた。

在日ブラジル人がもっと日本を楽しめるようになってほしい。

たくさんの在日ブラジル人が日本にいますが、
日本語が分からない、もしくは分らなくても生活が出来てしまう人もいる。

買い物もブラジル人用専門店で、済んでしまう。
でも、せっかく何かの縁で日本に来た。

だから、日本でしか食べられないもの、観光、農業、伝統芸能。
それを彼らに見てほしいし、触れてほしい。

 

だからこそ、自分にしかできないことを。

そのときに、その想いに寄り添うコンテンツがあれば役立つと思うんですよ。
日本語が通じない状況を改善することで、

彼らが住んでいる地元のお店に行くこともできるようになります。

そしたら日本人と接するようになって、
もっと日本語話せるようになりたいなとか、
日本のものにもっと触れてみたいなと思うかもしれない。

 

一番の想いは、日本とブラジルの架け橋になりたい。

俺1人だけではできない。
だからこそ、日本とブラジルの架け橋になれる人材をたくさん育てたい。

たくさんのブラジル人がコミュニティに固まるのではなくて、外に飛び出していく経験をする。

若い人たちが日本の良いものを吸収して、ブラジルに還元する。 

ブラジルの次にブラジル人が多い国が日本、日本の次に日本人が多い国がブラジル。日本とブラジルは最高のパートナーになれるはずです。

 

ダシルバサミーケンジ2

正反対の地理、正反対の人々。
だけど、お互いの出来ない部分を補完し合える。

俺でも、ここまでやってきたんです。
だからこそ、自信のないブラジル人、日本人のモデルになれる。

こんな俺だからこそ、勇気を与えられる。だから動き続けるんです。 

 

 

どんな過去を持っていようと。

 

どんな環境で生きてきたとしても。 

培ったひとつひとつはあなただけの財産。

 

向き合った数だけ、重ねた経験の数だけ。 

より素敵な未来が待っている。

 

だからこそ、今を。 

 

生きよう。

 

 

 

Twitter:@samy_drepla

Facebook:https://www.facebook.com/samy.dasilva.7

 

【文章:江口 春斗】

【写真提供:ダシルバ・サミーケンジ】