「スーパーアクティブ大学生」と言えても仕方がないくらいアクティブ。

 

日本を託せる人がいない?いや、そんな事はない。

 

託せる人は若者にいるじゃないか。 彼こそ名前は水野翔太君。

 

名古屋の若者を席捲する「名古屋わかもの会議」の実行委員長に訊いた。

 

 

 

 

水野翔太

1994年12月5日、愛知県名古屋市生まれ。

法政大学法学部政治学科2年 

愛知県立瑞陵高校卒

 

 

高校時代にCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)にて企画・運営をした後、

学生環境団体NEOを創設。

 

大学進学後、

高校生の政治関心を向上させることを目的とした

学生団体「僕らの一歩が日本を変える。」の運営へ。

 

地方から日本の未来を考えるをコンセプトに議論を行う

「小布施若者会議」では運営を務め、

今回、愛知県の若者を集め、名古屋について考察する

「名古屋わかもの会議」では実行委員長に就任した。

 

 

 

 

 

昔から、リーダータイプだったんです。

 

—–幼い頃、水野さんはどんな方だったんですか?

 

ずっと運動ばっかりでした(笑)。幼稚園の頃からずっとサッカーをやっており、高校時代は陸上をし、社会人チームで野球をしていました。所謂スポーツバカですね。あと、色々挑戦したくて負けず嫌いでした。部活にしろ、課外活動にしろ、中途半端な事は嫌いな性格でした。

 

 

—–その頃からリーダータイプだったんですか?

 

リーダーの立場が多かったです。クラスリーダーだったり、部活のブロックリーダーだったり、積極的に「リーダー」と冠が付いた物はガンガン挙手するタイプでした。

 

 

—–そんなスポーツバカだった水野さんが、今は様々な社会活動に取り組んでいますが、その契機を教えてください。

 

最初に興味を持ったのは、2010年のCOP10(生物多様性会議第10回締約国会議)のボランティアです。地元開催ですから、地元の為に何かできる事がないかなぁと考えて、ボランティアに参加しました。それがきっかけで様々な活動に取り組み始めました。

 

 

—–それ以降はどんな活動をされていたんですか?

 

COP10の時に、同時に、ユース世代が提言書を作るという内容のこどもCOP10というイベントが開催される事となりました。しかし、時間の関係上、大人の意見ばっかりが入った提言書が作られてしまいました。それに対して凄く問題意識を抱いて、「だったら俺らが作ればいいじゃん」と考えた上で、本物のユースによる提言書を作るためのイベントを作りました。それを運営する為に設立した団体が学生団体NEO(Nagoya Environmental Organization)なんですが、実際に愛知県からの助成金を頂き、会議を実施しました。それは、高校2年生の時ですね。

 

 

—–水野さんが高校三年生の時はどんな活動をされていたんですか?

 

3.11発生以降、中部地方のエネルギー問題を自ら考える為の中部エネルギー市民会議というイベントを運営していましたが、そこでは、前名古屋市長であった松原武久さんや大学の教授等を交えて、ディスカッションを実施しました。

 

 

—–自分でイベント企画する物が多かったように思えますが、参加したものも多かったんじゃないでしょうか。

 

参加した物に関しては、「僕らの一歩が日本を変える。高校生100人×国会議員vol2」での感動が大きかったですね。日本中から高校生100人を集め、霞が関で国会議員とのガチンコディスカッションを実施するといった内容のイベントなんですが、それは関東の高校生が大人の手を借りずに企画した物で、「こんな大層な事を運営しようと考える高校生がいて、政治に対して熱い考えを持つ高校生が日本中から集まるんだなぁ」と見た瞬間、応募即決しました(笑)。別に日本を変えたいとかそういう思いからではなく、熱い高校生が集まる所が見てみたい。ただそれだけでした。

 

 

—–僕と水野君が初めてお会いしたのもそこでしたね。

 

そうでしたね(笑)。前日に夜中まで政治議論したのが懐かしいです。今の学校で急に政治について話し始めると、「アイツ変わってるなぁ」みたいな感じがするじゃないですか。けど、高校生×国会議員ではその雰囲気が無い。というか、逆に政治について話してる人ばっかりで、日本には自分みたいな熱い高校生もいっぱいいるんだなぁ。と強く感じました。それがスゲェと。

 

水野2

 

 

—–その後、水野君は参加者の立場から「僕らの一歩が日本を変える。」の運営メンバーになり、スゲェと思う方から、スゲェと思わせる方になりましたよね。

 

そうですね(笑)。「僕らの一歩が日本を変える。」の代表の青木大和君から、「ぜひ一緒にやらないか」とお声がかかり、運営をする方になりました。僕が色々と名古屋で活動をしていたという事を青木君は知っており、「やろうじゃないか」と意気投合し、運営に参加しました。あと、いわゆる「意識高い系」の学生は東京にいっぱいいますけど、地方には少ないので、地元名古屋に経験を還元できるんじゃないかな。と思ったのもきっかけですね。

 

 

東京から、名古屋へ還元。

 

—–自分がアンテナになって名古屋に還元という事ですね。それに関して今、水野君は、「名古屋わかもの会議」の実行委員長を行っていますよね。それは、いつごろ構想されたんですか?

 

それは、「僕らの一歩が日本を変える。」に所属している時に遡るんですが、参議院議員選挙に合わせて、私がプロジェクトリーダーを務めた「全国一斉模擬選挙」を実施しました。これは、日本全国を駆け回ってどの党がいいかを10代に聞くという活動なんですが、2013年の8月頃に名古屋で街頭選挙をしていた時に、ある大人と会いまして、その時に『「僕らの一歩が日本を変える。」でこのような活動を実施しているけども、地元名古屋でもやりたい』と言ったら、またもや意気投合する事となりました。それが「名古屋わかもの会議」の第一歩です。今では実行委員は約40人になっていますが、その中で最初からの自分の知り合いは2人しかいなくて、残りの方は全員、実行委員会発起前では知らなかった人でした。

 

水野3

 

 

—–初めて会う人が多いとの話が多いですが、それはどんな人が多いですか?

 

意外と普通・・ですね。けど、何かしら心の奥底に、名古屋に対するアツい想いを持つ人が多いです。ただ、今まで大きな事業をやった事のある人は少ないです。

 

 

—–そんな「普通」の学生が何故参加してくれるんでしょうか。

 

何ででしょうねぇ。根底に「名古屋を盛り上げたい」という心を持つ人が多いんだと思います。あと、若者世代から何かをしたいという人が多いようにも思えます。今まで、若者は内向きと言われてきました。けど、想いや意見は誰でも持つと思うんですよね。それは政治にしろ、何にしろです。ただ、思いがあっても発信する場が少ない。また、発信しても反応してくれる人が少ない。その現状にインパクトを与える事が可能ではないかと考えています。

 

 

—–水野君は、今40人を実行委員に持つ「名古屋わかもの会議」のリーダーです。どうして、そこまで人を引き付ける事ができるのでしょうか。

 

たぶん、やりたい事が決まっているという事が有るからだと思います。今政治の勉強をしていますが、根底にあるのが、「地元 名古屋を盛り上げたい」という心です。このコンセプトがしっかりしているからかなぁと思います。

 

 

 

水野翔太が描く「未来」

 

—–では、将来について話を移らせて頂きますが、将来は一体、どうなってしまうんですか(笑)

 

(笑)丁度一年前までは、政治家になろうとしていました。やはり、地元名古屋を変えるには、政治の力が必要だと考えました。けど、この一年、色々な事を経験して、考えが変わりました。それは、「イベントを通して、次の世代に夢を与える仕事」です。形態はNPOでも政治家でも、企業に入ってでもいいですが、その形に関しては大学生活でゆっくり考えたいと思っています。

 

 

—–同じように活動をされている人で尊敬している人は誰ですか。

 

あー。今自分が尊敬している人は、決まっていませんね。けど、自分が理想とするような人になりたいです。要するに、「自分を越えたい。」というか、自分自身が敵という感じです。

 

 

—–その向上心の原動力を教えてください。

 

ただ、「ワクワクする事をやりたい。」簡単ですね。つまらない事はやりたくないという事はそうですが、つまらない中にも自分がワクワクできる事を探します。つまらない事は続かないですよね。

 

 

—–色々な活動を行う上で必用なのも「ワクワク」ですか。

 

そう。ワクワク。あと、周りの人を気遣うという事です。やはり活動で一番取り上げられるのは代表ですし、周りが見えなくなっている時もあると思います。がむしゃらに多くの事をやっていた高校時代は自分勝手な面もあったのですが、そういった所は「僕らの一歩が日本を変える。」の運営メンバー時代で払拭する事が出来ました。今では、周りを気遣い、調和のとれたチームを作る事を念頭に置いています。あ、そうそう。自分の転換期って3つありますね。

 

 

—–転換期ですか。

 

はい。まず1つ目が、名古屋のCOP10で新たな一歩を踏み出して、2つ目が「僕らの一歩が日本を変える。」での経験。そして、2014年3月24日に行われる「名古屋わかもの会議」を3つ目の転換期にしたいと考えています。

 

 

水野4

 

 

—–ちょっと難しい質問をしちゃいますが、この先、人生で何個の転換期が来ると思いますか?

 

それは、生きていれば分かりますね。けど、「名古屋わかもの会議」は転換期になると思っています。まず、目の前にある名古屋わかもの会議で、一歩を踏み出したいと考えています。

 

 

—–では、最後になりますが、この先の人生で水野君が輝いた時、日本はどうなっていますか?

 

どういう風になっているんだろうなー。でも、やっぱり、政治にしろ、地域にしろ、どのような問題でも、自分が当事者意識を持って、解決に挑むことが出来る、そういう社会にしていきたいと考えています。

 

 

—–当事者意識。大事ですよね。

 

分野は何でもいいんですよ。芸術にしろ、スポーツにしろ。けど、自分事として捉えていけるような社会にしていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「名古屋わかもの会議」の後日、

もう一度水野さんにお話を伺った。

このイベントは水野さんの転換期となったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「名古屋っていいなぁ」を伝えたくて

 

—–「名古屋わかもの会議」はどうでしたか?活動をtwitterとかで確認させて頂きましたが、凄かったそうじゃないですか。   


もう最高ですよ。

 

 

—–運営委員長の仕事もお疲れ様です。運営委員長として、参加者にどういう価値を与えたいと考えましたか?

 

やはり、多くの人間が集まる場で「楽しむ」というか、ディスカッションや、フロントランナーのお話しから楽しむという事は大事だけども、まずは「名古屋わかもの会議という場を楽しんでもらいたいなぁと考えました。

 

 

—–参加者は何人くらいでしたか?

 

高校生、大学生合わせて100人。で、メディアとか大人の方を合わせて約50人。合計150人くらいですね。

 

 

水野5

 

—–それはそれは部屋は広い場所で行われて・・・

 

・・ いやいや(笑)結構狭い場所で実施しましたよ。だから、熱気で熱くて仕方なかったです。

 

 

—–「体で感じる暑さ」と「心で感じるアツさ」はどちらが大きかったですか?

 

心のアツさがデカかったです。(笑)自分は実行委員側でしたけど、実施後のfacebookに投稿される皆の感想がアツくて、実際に名古屋わかもの会議に参加した人が影響を受けて、また新しい何かを作り出そうとしている場面もありましたし、新たな動きが名古屋から生まれてきているという事もあります。

 

 

—–「名古屋わかもの会議」を実施して、改めてこのイベントにどういった意義を感じていますか?

 

意義ですか。やっぱり、名古屋から何かを発信する事の重要性というか、名古屋は内向的と言われますけど、そこで終わらせるのは非常に勿体無いと感じますし、だったら、そういう新たな一歩を踏み出す環境を創出するというか、何かに気づいて貰って、「名古屋っていいなぁ」と思って頂ける、そのプラットフォームになれたのではと感じています。

 

 

—–気づきを提供するとありましたが、どういった事を気づいて頂けたと感じていますか?

 

単純に、「名古屋のことをもっと知りたいなぁ」という自分に潜む考えじゃないかなと思っています。

 

 

—-イベントを起こしたからこそ感じた名古屋の問題もあるのでは?

 

そうですね。自分のことになりますが、結局「名古屋を好きになってほしい」と企画したイベントであっても、一回立ち返ってみたら、「結局、自分は名古屋の何がわかっているんだろう」と虚無感に駆られた時もありました。

 

 

—–今後はどうしていかれますか?

 

ざっと言うと「継続」ですね。一発屋で終わらせるのではなく、第二回、三回と続くような名古屋わかもの会議を作っていきたいなと感じています。そして、ディスカッションのレベルを上げて、行政に政策を持っていけるようなレベルまでに仕立てあげたいと考えています。若者の声は小さいし、実際に社会は高齢者向けの政策になっていると思うんですけど、もっと若者に目を向けてもらえるように、政治色の強いものではなく、盛り上がるような場にしていきたいと思っています。

 

 

水野6

 

 

転換期

 

—–さて、今回の本題に移っていきたいと思います。以前のお話で、「転換期」にしたいという話が出ましたが、転換期になりましたか?

 

おー(笑)。それは分からないですね。

 

 

——分からないというのは、気づくのはその先という事でしょうか。

 

あと1年くらいかな。ひょっとしたら半年後、もしかしたら1か月後くらいかもしれない。「僕らの一歩が日本を変える。」の運営メンバーになれて良かったなと感じたのも辞めてからですし、多分、それは今後気づくんだと思います。ただ、「転換期になるような要素」は沢山含んでいました。

 

 

——転換期になるような要素とは、どんな物でしょうか。

 

やっぱり人に影響を与える事が出来たというか、愛知、名古屋に影響を与える事が出来たというか、何かしらに影響を与える事ができたという事ですね。

 

 

——以前、イベンターになりたいという話をされていましたが、イベンターって、まさにこのようなイベントを開く仕事だと思います。将来に繋がりましたか?

 

理想の仕事に辿りつく上で、凄く良かったと感じています。ただ、前にも言ったように、一回きりで辞めるのは言語道断な訳で、将来の目標に辿りつくためにも、継続することに重点を置きたいと考えています。

 

 

——わかもの会議が継続した先には何がありますか?

 

愛知、名古屋と言えば、味噌カツやドラゴンズよりも「わかもの会議」という領域まで広げていきたいと考えています。結構強気な発言かもしれませんが、そこまで強気じゃないと継続してやっていけないので。将来、私達の世代が時代を担う時が来ると思いますが、その時まで、自分らの地域について考える事が出来る社会の基盤を作っていきたいと考えています。

 

 

—–これから名古屋をどうしていきたいですか?

 

自分らの考えを、率直に発信できるような愛知、名古屋にしていきたいです。あらゆる考えを持つ人は存在しますし、その意見を汲み取って、アップロードできるようにしたいと思っています。あと、東京や大阪に似せたくないと思っています。名古屋らしさを発信する事ですね。

 

 

—–今の名古屋らしさとは?

 

内向的な所じゃないでしょうか。自分の考えをあらゆる手段で表現できるような名古屋にするのが理想です。

 

 

—–名古屋は任せました。

 

任せてください。

 

 

水野7水野8

 

 

 

彼の「名古屋を元気にしよう」という志は、

 

 

ワクワクから生まれていた。

 

 

手段は何でもいい。ワクワクをまず半径10mの人に発信していこう。

 

 

皆さんは、ワクワクする物、持っていますか?

 

 

 

水野 翔太

twitter:@NeoShota

facebook:https://www.facebook.com/shota.mizuno.neo

 

インタビュアー

西村 歩

twitter:@Unknownjumpers