藤木さん1

 

こどものころ、両親から虐待をうけていた。

結婚した男性からもDVをうけ、人が信じられなかった。

幸せな家庭なんて、見たことなかった。

 

そんな彼女を変えたのは、女子刑務所での勤務と一冊の本。

彼女は気づいた。

 

悪いのはわたしじゃない、わたしの考え方の問題だったんだ。

 

 

藤木美奈子

大阪市生まれ。貧しい母子家庭に育ち、全国を転々。95年、雇用という形を選べない女性たちの経済的自立を支援するNPO法人「WANA関西」を立ち上げる。大阪市立大学創造都市研究科博士後期課程を経て、更生施設や母子生活支援施設にて社会復帰プログラムを実践研究中。龍谷大学短期大学部社会福祉学科准教授(2014年3月末退任)ソーシャルスイキル研究所所長(同年4月1日より) 

 

|虐待をうけたこども時代

 

―今日はよろしくお願いします。

 藤木さんは、どんなこども時代を過ごされてきましたか?

 

 わたしは、いわゆるふつうのこども時代を過ごしていません。一言でいえばとても「よろしくない家庭」で育ちました。小さいときは両親から虐待をうけていて、親のしりぬぐいばかりやってましたね。

 小学3年生のときのことです。母がくっついた男性とうまくいかなくなって、離婚することになって。その男性から、わたしも母もDVをうけていたものですから。性的な虐待も含めてね。その離婚届を役所からとってきたのは、わたしでした。たった9歳の子供が、そんなことをさせられていたのです。また両親は、あちこちのサラ金に借金をしていました。でも、お金がない。払えない。期限をのばしてほしい。それをサラ金に頼みに行くのも、わたしが行かされました。セーラー服のまま行って、期限をのばしてくれと頭をさげる。しりぬぐいっていうのは、それを虐待って呼ぶかどうかは別として、親の出来の悪さをこどもがずっと埋めさせられてきた。そんな感じの人生でしたね。

 

―セーラー服を着てサラ金に…。ちいさなこどもには、あまりにも辛すぎますね。

 高校を卒業されてからは、どんなことをしましたか?

 

 性的な虐待から身を守るために、中学時代から習っていた空手の先輩と結婚して、2年間アルジェリアに空手を教えに行きました。そのあと日本に帰ってきて、どうしようかなって考えたとき。学生のころ、刑務官募集と書かれたポスターを見て、女子刑務所ってどんなんやろ?!って考えたことを思い出しまして。それで、よし!刑務官試験受けてやれ!とひらめいて(笑)。そのまま国家公務員試験をうけたら、結果は合格。そしてわたしは、2年間女子刑務所ではたらきました。

 

―女子刑務所!わたしには、未知の世界です。

 藤木さんは、アルジェリアに空手を教えに行ったり刑務所で働いてみたり、

 行動力がものすごいですね。

 刑務所での仕事はどうでしたか?

 

 そうやね、わたしは行動する研究者なので(笑)。刑務所はね…。女子刑務所にいる人って、みんな悪い人やって思うでしょ?でも実際に入ってみると、悪い人っていうよりむしろ被害者っていうか。ものすごい差別を受けていた人がたくさんいましたよ。社会的な差別や偏見をうけてきて育ってきているから、やっぱりまともな仕事に就けない人ばかりですよね。この人らにまともな仕事があったら、刑務所にきてるんやろか?って思いました。下層社会の女性が生きることの大変さは、わたし自身よくわかってるし。

 

―刑務所の中って、悪い人ばかりでもなかったんですね。

 正直、意外でした。

 生まれついた環境が原因で、犯罪に手をそめてしまうのでしょうか。

 

 そりゃもちろん、悪い人もいましたよ。考え方が悪い人。でも、その人がそういう考え方になったのはなぜですか?とか考えていくとね、ほんとうにその人がはじめから悪い資質をもっていたのかというと、わたしはどうかなと思うんですよ。たとえばその人が赤ん坊だったとき、悪いこころを持っていたかというと、そんなことないんじゃない? 

 わたしはね、彼女たちを見ていると、まるで自分の母親を見ているようだったんですよ。母親も、あまり育ちがよくないので。彼女は若いときに父も母もなくなっていたので、たいへん苦労をして、孤児になってうろついてたことあったんです。結婚もせんとわたしを産んでいるし。 ろくな仕事もなくて、育てるのもそりゃ大変。礼儀も、常識も知らない。でもそれは、母親が悪いんじゃない。教えてくれる人がいなかったから。そう考えるとね、なんとかこの女性たちの力になりたいなっていう気持ちがもくもくと湧いてきたんです。自分自身もそのとき、結婚した空手の先輩からDVをうけていたし…。やっぱり女の人が安全に生きていくって、かなり大変なんやなって身をもって感じていました。

 

 

藤木さん2

 

 

|マイナスだったことが、全部プラスに変わった

 

―お母さんも複雑な環境で育ったんですね。

 藤木さんは、昔虐待をうけていて、結婚した後もDVをうけて。

 なぜ、もう一度人を信じようと思えたんですか? 

 

  うん。20代後半のころ、やっぱり社会で生きていくことに完全に行き詰って。こどものときに家族から暴力をうけていたせいで、人が信じられない。コミュニケーションをどうやってとったらいいのかわからない。そのころ、千葉敦子さんというジャーナリストの方の本を読んだんです。言葉はあれですけど、千葉さんは「女の人なのに」素晴らしい生き方をしていて。それまでわたしは、生きてきた環境がすごく悪かったので、女の人は殴られて当たり前だと思ってたんです。幸せな家庭なんて見たことなかったから、どう幸せになったらいいのかわからない。でもその本を読んだときに、“あ、これは自分の考え方に問題があるんやな”ってわかったんですよ。

 そして、いっぱい勉強して27歳のときに、大阪市立大学の経済学部をうけました。そしたら合格して。それで、昼間に働いて、夜間(2部)で学びました。でも大変で身体ももたなくて、すぐにやめてしまって。でもそのおかげで、自分が悪くてうまくいかないんじゃないっていうのが分かった。なんとなくちょっと、救われた気がしたんです。そこからいろんな仕事に挑戦していって、出会った人と結婚して、初めてこどもができたんです。それでね、赤ちゃんの面倒をみながら稼げる方法はないか考えたときに、自分で文章を書いて食べて行こう、と思ったんです。だから、会社を自分でつくって、本を書きはじめた。マイナスだったことが、全部プラスに変わったんです。

 

 

 

藤木さん3

 

|絶望なんて考え方は不要になる

 

―27歳で大学を受験するのも、なかなかできることではないですよね。

 藤木さんはその本を読んで、結婚して子供ができて、本当に人生が変わったんですね。

 

  わたしなんかが大学の先生になるなんて、誰も夢にも思わなかったでしょう。だけど、人は変わるということをわたしは立証しました。あんなに惨めな子供時代を過ごして、高卒のまま終わると思っていたのが、43歳で大学院に入学し、心理学、社会学、教育学、福祉とさまざまな学問に出会いました。それだけ勉強したし、何冊も本を書きました。もし私がこどもの時に、落ち着いた両親のもとでちゃんと育っていたら、こんなに苦労はしていなかったと思います。学費もすべて自分で払う必要があったから、大学も大学院に入るのも普通の人と比べて20年も多くかかったし、大学の先生になれたのも50代のとき。ほんとうに、すごく回り道をしました。でも、こういう環境で育った人間でも、大学院に入れる、博士号だってとれるっていうのを証明たい。そんな意地があって。虐待されてた子はあかんとか、DVされてる女性はあかんとか、しょせんうまれ育ちのわるい人間にはチャンスがないという世間の偏見を取り除きたかったんですよ。それは、児童養護施設でしんどい思いをしている、めぐまれないこどもたちへの熱いメッセージになるから。 

 

―うまくいかなくても立ち直って、そこからはい上がって教授になるのには

 本当にたくさんの苦労があったと思います。

 それくらい、世間の見方を変えたかったんですね。

 藤木さんの今後の目標はなんですか?

 

 わたしは今、こどものころに困難を抱えてしんどくなっている人は、どうすれば立ち直ることができるのか、その方法論を研究しています。母子生活支援施設といって、いろんな事情で家失い、施設で暮らしている若いシングルマザーたちがいるのですが、その人たちのところへ行って自尊感情を回復するプログラムを行っています。そうするとね、母親たちの表情がみるみるうちに変わるんです。最初はすごい悪態をついていても、“自分がうまく生きられないのは私のせいじゃなかったんだ”って気づくわけです。それが分かるとね、急に「レディ」に変身するんですよ(笑)。そうすると、こどもにも手を出さなくなりますし。最大の児童虐待防止策は、母親支援なんです。だから私は、今の研究をもっと日本社会に広めて、たくさんの人がこのプログラムを受けられるようにしたい。若い人たちにもね、このことに興味を持ってとりくんでほしい。私もあっという間に54歳になりました。でも、まだもうちょっと何かできるかなって思いますよ。わたしがこどもの時につらい経験をしたのは、今いるつらい人たちを助けるためだったと思っています。そう考えたら救われるし、絶望なんて考え方は不要になる。そう、思いませんか?

 

虐待をうけることのつらさ、そして考え方の大切さ。

 

話をする藤木さんの瞳は力強く、暗い過去を一切感じさせなかった。

しかし、平凡で穏やかな家庭で育った私にとって

藤木さんのことばひとつひとつが大きな衝撃だった。

 

彼女は人を助けるために、自分の過去を無駄にしないために

これからも走りつづける。

 

 

WANA関西公式HP:http://www.wana.gr.jp/

 

 

【文・写真…橘京】