タイトル

 

 

 

「理屈じゃどうにもならない」
そう思うことはありませんか。

 オーケストラの旋律も。
新進気鋭の現代アートも。
目の前の人の悲しみも。

 言葉では、説明できません。

 それでも彼女は向き合うでしょう。

「タイトル」を与えて。

 

 

【プロフィール】

吉見紫彩(よしみ しさ)

神戸大学 人間発達環境学研究科卒業。
「感性科学」という学問分野に従事し、「音象徴」という現象を追求する。
また、自身も画家としてアトリエe.f.tに所属して、吉田田タカシ氏に師事していた経歴を持つ。
先日行われた「π 〜22世紀への演奏会〜」の主催者の1人。

 

吉見紫彩 s1

 

「感性」「科学」する。

−−吉見さんは神戸大学の大学院で「感性科学」とりわけ「音象徴」という現象に関する研究に取り組んできました。

感性科学って知ってる?90年代くらいに出来上がってきた学問分野なんだけど。「芸術」とか「センス」とか「印象」って、いわゆる“科学的じゃないもの”として捉えられてきたじゃない?分析とか研究とかの対象にしてしまうこと自体が、「ナンセンス」って遠ざけられていたのね。そういうものにきちんと向き合って、影響を検証してみようっていう学問が感性科学。

 

−−なぜそれに取り組もうと思ったのでしょう?

高校のときにアトリエに通うようになって、そこでセンスの塊みたいな人にいっぱい出逢ったのね。そこで「私にしかできないことって何だろう?」って考えた結果、色んな分野の芸術に取り組みながら、それをきちんと研究・分析してみたいなーって思ったの。

 

——吉見さんが専門的に取り組んでいるは「音象徴」という現象。一体どういうものなのでしょう?

たとえば「怪獣の名前に濁音が多い」とか「お菓子の名前にパ行が多い」とか聞いたことない?言葉の持ってる音って、ひとつひとつ色んな影響を与えるのね。それが「音象徴」って現象。

言葉ってすっごく素敵じゃない?私、大好きなのね。神秘的で魅力的で。

絵で人を感動させようと思ったら何週間もかかるのに、言葉だったら一瞬でできちゃう。そのくせ私たちって全然言葉のこと知らないじゃない?日頃からこんなにたくさん言葉を使ってるのに。なんでなんだろうね。

 

−−吉見さんが何かを語るとき、その顔は本当に楽しそうです。聞いているこっちまでワクワクしてしまう、そんな輝きを纏っています。

 

 

 

吉見紫彩 s2

 

「言葉にならないモノ」「タイトル」をつける。

 

−−吉見さんは画家として、自ら絵筆を持たれています。描くのは抽象画。画家としての吉見さんに迫ります。

昔は私も具象と書いてたのね。デッサンを書いてたし、書きたいと思ったもの、綺麗だと思ったものを書いてた。けど、ある時どうしても具象では表現できないものに直面したのね。それをどうにかして絵にしようとしたら、いつの間にか抽象画になってた(笑)

「笑ってる人の顔」を書いても、それで「楽しい」っていう感情を描いたことにはならないじゃない?やっぱり具体的に書いちゃったら「場面」になっちゃうんだよね。でも私がそのとき描こうとしたのは「まだ言葉になっていないモノ」「どうしても言葉では説明できないモノ」なの。

 

−−そして、それに「タイトル」をつける。

言葉にならないモノを、どうにか絵で表現しても、まだまだ完成には程遠くて。辞書の一節があったとしても「見出し語」がなかったら何の意味もないじゃない?「タイトル」っていう枠組みがついてはじめて、表現したものが意味を持つと思う。

言葉にならないようなモノでも、絵なら表現できるの。絵にしたものなら「タイトル」をつけられる。

 

 

 

吉見紫彩 s3

 

「薄い水色」が刺さってきた。

 
−−吉見さんはいつから絵を描き始めたのだろう?

高校時代、私学校行かなくなっちゃってね。で、どうにかしなくちゃって考えた先生が、私の美術の成績がいいってことを聞きつけて、とある大学の写真部に連れていってくれたのね。別にその写真部は好きになれなかったんだけど、「芸術の世界で生きていく」って価値観と出逢えた。

そこからアトリエを自分で探して、絵にのめりこんでいきました。そこで「絵って楽しい!」ってほんとに思えたの。絵の素敵なところだと思うんだけど、ピアノとかダンスとかと違って何才から始めても差がつきにくいの。楽器代やレッスン代に比べてお金もかからないしね(笑)

 

−−抽象画を描く、今の画風に至ったきっかけは?

19歳のとき、とっても辛い時期があったの。自分の価値がものすごく低くなってしまったような気がして。家庭のこと、友人のこと、ほんとに悲しい出来事がいくつもいくつも重なっちゃって。

薄い水色が刺さってきた、って感じ。

理屈ではどうにもならない、言葉で説明なんてできないような気持ちにたくさん出逢ったのね。けど、そのとき筆を手にとったからこそ、今もまだ絵を続けられていると思う。あの時期がなかったら私は絵を続けていない。

 

−−彼女は、あらゆるものに向き合ってきたのでしょう。辛さにも。絵にも。他人にも。自分にも。

 

 

 

吉見紫彩 s4

 

22世紀へ。

 

−−今回の演奏会「π」の副題は「22世紀への演奏会」でした。どういった想いをこめたのでしょうか。

特に現代芸術って、普通の人からしたら難しく捉えられがちじゃない?でもね、私達はいっぱい楽しんで芸術と生きてきたのね。それは考えずに楽しめるような感受性を育んでこられたからかもしれないけど。

どんな人でも「楽しむ」ってことができるような芸術ってなんだろうっていっぱい考えた。「楽しむ」っていう経験を通じて、みんなの感受性をもっと豊かにできるようにしたかったの。

やっぱりどうしても考えちゃうじゃない。「この絵は何を描いたのだろう」みたいな。でも、別に全部が説明できるわけじゃないのね。それは、どれだけ研究を重ねても説明しきれない部分があるのと同じで。どっかに理屈を超えた部分があるの。そこが芸術の面白い部分なんだけど(笑)

私は、そこに必死に向き合って、考えて。そうして創りあげたものを、今度はみんなに、「感じて」ほしい。

考える前に愛してもらえるような作品を、考えに考えぬいて創るの。

 

−−吉見さんは「22世紀」について語る。

私ね、「22世紀は生活すべてが芸術になったらいいな」って思ってるの。街を歩いてるときにすごい新鮮な気分になれたり、ハッピーな気持ちになれたりするときってあるじゃない?

多分みんなの感受性が上がったら、街を歩いてるだけでいくらでも芸術に出逢えるじゃない?その人にとってあらゆるものが芸術になってくれるの。だから、みんなの感受性を刺激して敏感にしていけるようなデッカイ芸術を創りたい。

「できない」とか「無理だ」って言われてるものをどうにかした方が感動できるじゃない。赤色で「悲しい」を表現したり、21世紀の楽器で22世紀を表現したり。

だから、22世紀は生活すべてを芸術にするの。みんな無理だと思ってるでしょ?

 

 

 

 

「一回好きになっちゃったものを、嫌いになれないの」

 そう、彼女は、こぼしました。

 絵も。言葉も。人も。

彼女は「どうにもならないもの」を愛してきました。

 

どれだけ辛いことにだって。
どれだけ悲しいことにだって。
どれだけ考えたって理解できないことにだって。

 彼女は向き合ってきたのでしょう。

 そんな彼女はこれから21世紀に向き合って、
22世紀を創り上げていくでしょう。

 彼女の創る22世紀へ、行ってみたい。

 

 

吉見紫彩 〆

 

【文・写真:藤本賢慈】