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「中国と日本の間で、自由に生きたい。」

 

そう語った彼の目は、熱い思いに満ちていた。

 

日本に来たのは8年前。

初めは日本語が分からなかった。

 

その中で様々なことに触れ、感じ、考え、

日本で起業する決意をした。

 

孟 成真、中国出身。

 

故郷に対する想いを持ち続けながら、

それでもなお、日本を見つめる。

 

中国と日本の間に立ち続ける彼に話を聞いた。

 

 

 

孟 成真(Mou Seiji)

中華人民共和国黒竜江省ハルビン市出身。北海学園大学経営学部3年。

中学校3年生のとき、旅行で初めて来日。そして日本へ移住。

様々な活動を通して、自分の会社をもつことを夢見る。

現在は大学に通いながら、”日本と中国をつなぐ”ための起業へ向けて活動中。

 

 

 

中国のハルビン市から北海道の札幌市へ

 

中国・黒竜江省の省都である、ハルビン市に生まれた孟さん。

 

幼稚園・小学校までは、周りの友人たちと一緒に、普通に通っていたそうだ。

しかしその後、彼の家族の前に“中学校への進学”という壁が立ちはだかる。

 

 

「両親は中国で自営業をやっていた。

だけど、中国で自営業をやっていくのはとても難しい。

そうなると、学費を稼ぐのも大変なんだ。」

 

 

中国では、学力によって進学先の中学校を選べる。

しかし、自営業では学力レベルの高い中学校に通うための学費がまかなえない。

 

 

「お母さんとしては、どうしても俺をいい中学校に入れたかった。

でも、このままの自営業だと学費的に通えないことが分かっていた。」

 

 

そんなときに孟さんのお母さんは、

日本で仕事をしてお金を稼ぐという決断をする。

 

 

「日本語を喋ることができないし、日本に親戚もいないという状況で、

女が1人で日本に行くという決断は、いま考えるとすごいことだよね(笑)」

 

 

お母さんが日本へ行っている間、孟さんは祖父母の家で生活していた。

 

その3年後に、お母さんは日本から戻ってくる。

そのおかげで孟さんは、ハルビン市で一番いい中学校に入ることができた。

 

 

 

 

そんな中、中学校3年生のときに孟さんに転機が訪れる。

 

 

孟さんは初めて日本へ旅行をし、

その旅行後、お母さんから告げられたのは“日本へ移住する”という話。

 

 

「お母さんは、

 

『このまま中国で中学校を卒業していい高校・大学に入っても、

競争が厳しい中国での将来というのは、そんなに明るいわけではない。

だから、今のうちに中国を出たほうがいい。』

 

ということを言っていた。

 

俺にしては、”今までの自分の全てを捨てる”ということだったけど、

自分で決めて半年後に日本へ移住したんだ。」

 

 

 

そして、日本へ移住した後、北海道札幌市の中学校に転校した孟さん。

 

 

そこから孟さんの、日本での新たな生活が始まった。

 

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日本での生活が始まってから

 

「日本に来てからは毎日、日本語を勉強していたよ。

でも、中学校の勉強はあまりしていなかったな、簡単だったから(笑)」

 

 

照れくさそうに笑う孟さん。

初めは、日本語を話すことがとても難しかった。

そんな状況の中でも、彼は決して語学学校に通うことはしなかった。

 

語学学校に通うと、中国人同士での輪ができてしまって、

日本人と関わらなくなってしまうという、孟さんのご両親の判断だった。

 

 

「当時は、

 

『何で俺は、語学学校に通わないんだろう!?』

 

と思っていたけど、いま思えば賢明な判断だったと思う。」

 

 

 

 

その後、札幌市の高校に進学した孟さん。

 

 

 

そこで孟さんは、ある重大な決意をする。

 

 

 

自分の意志で名前を変え、留学を決意した。

 

 

 

「高校からは佐々木哲也という日本名に変えた。

きっと自分でも、自分が中国人か日本人なのかが分からなかったんだと思う。

 

 

それから、日本でのゴールは公立の高校に入ることだったから、

高校からはあまり勉強をしなくなったんだ。

 

その頃は日本があまり好きではなかったし、

日本語も喋れないし、友達もいなかった。

だから日本では大学に進学しないで、留学をしようと考えた。」

 

 

 

留学を決意した孟さんは、そのことについてご両親に話した。

 

 

 

しかし孟さんのお母さんは、日本に来ていること自体が留学であるため

このまま日本の社会に出てみることを勧め、留学することを引き止める。

 

 

 

 

 

お母さんの強い説得もあり、留学を固く決心していた孟さんはそれを取り止め、

そのまま札幌市の北海学園大学に進学した。

 

 

 

 

そして、それまで佐々木哲也として生活していた孟さんは、

 

大学2年生のときに元の名前に戻す。

 

 

「あるとき、

ソフトバンクの孫さんが、就活生向けに出しているビデオを見ていたんだ。

彼も在日の方で、自分と共通しているところがあると感じていた。

それで彼は日本で認められて成功している人間だったし、

俺も中国人として堂々と生きようと決心したんだ!」

 

 

 

日本での孟成真が、再び誕生した。

 

彼はここから、“日本と中国をつなぐ懸け橋”としての第一歩を踏み出す。

 

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『中国と日本の間で自由に生きる人生にしたい』

 

孟さんが高校3年で大学受験の真っただ中のとき、

中国のおじいさんに”ガン”が見つかった。

 

しかし、大学受験を控えた孟さんは、どうしても中国に帰ることができなかった。

 

 

「結局おじいちゃんとは最後まで会えないで終わってしまって、

俺はこんな思いはもう二度としたくないと思った。

 

だから早く独立して、

中国と日本の間で自由に生きる人生を送りたいと考えているんだ。

元々自営業であった両親の影響もあって、いまは起業に向けて準備をしている。」

 

 

 

孟さんはこの春から、友人たちと協力して会社を始める。

いまは春休みを利用して、そのための準備を進めているところだ。

 

 

 

春休みは起業の準備ばかりで、中国には帰省しないという。

というより彼は、日本に移住してから一度も帰省していない。

 

 

「何か結果を残さないと、故郷には帰れないよ。

今はまだ何も成し遂げていないから帰らないんだ。」

 

 

 

 

 

 

そして孟さんは、起業という自分の行動を通して見ている、

夢と志について語ってくれた。

 

 

「小学校のときは、

周りが『数学者になりたい』とか『科学者になりたい』とか言っているときに、

俺だけ『パイロットになりたい』と言っていた(笑)

周りの友達からしたら、”なんだコイツ”って感じだったと思う(笑)

 

そのこともあって、いまの個人的な夢としては、

個人用のジェット機を購入することなんだ。

そしたら、

いつでも自由に日本と中国を行ったり来たりできるようになるでしょ?

 

 

そして自分の社会的な夢としては、

日本と中国との間に立ってビジネスをすること。

 

起業した自分の会社を通して、日本の良いものを中国に持っていきたい。

俺には中国と日本の懸け橋になるという役目があると思うし、

その結果として中国が国として良くなって、

日中関係も良くなると嬉しい。それが俺の志なんだ。」

 

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日本と中国。中国と日本。

 

2つの側面から、いろいろな体験をしてきた孟さん。

 

故郷の中国のことを考えながら、

日本で夢の実現へ向けて努力を続ける。

 

その強い想いが、彼の原動力だ。

 

 

彼はこれからも、中国と日本をつなぐ“懸け橋”として活躍を続ける。

 

 

 

 

 

【文責:山田祐也】【写真:吉田渉】