kurodaatsuki

 

Twitterで見かけたある男の子
顔中泥だらけで、笑顔のアイコンが印象的だった

『インドはムンバイのスラムで音楽・ダンス教育のお手伝い』
きっとボランティアなのだろう、だけどなんだか新しい

一風変わった支援に関わる彼は
何を想い、何を考えているのか気になったのだ

 

こうして連絡をとり、待ち合わせ場所に現れた彼は
顔をクシャッとして、よく笑う人だった。

 

黒田篤槻(Atsuki Kuroda)
長崎県生まれ。
大学では国際公共政策学科で学び、学外にて音楽家と学生を主体に活動している団体“光の音符”に所属している。現在は“光の音符” の学生メンバーとして、“光の教室”のスタディツアー企画を担当している。(http://www.hikarinokyousitu.sakura.ne.jp/)

 

 

中学生の時には、途上国支援を意識していました

僕らを育てた、平和への想い。

 

——途上国支援に関心があったのはいつからなのですか?

それが、中学生の時なんです。僕の地元は長崎だからか平和教育の影響もあり、総合学習の授業で“共生”というテーマで舞台をやることになったんです。
それで僕は台本作りのメンバーになったのですが、というのも当時の彼女と関係が悪くなっていて、『一緒に台本を作って仲直りしよう!』と目論んでいたんです(笑)。そしていざ台本を作ってみたら自分の案が通って、そのまま自分が主人公をすることになっちゃいました(笑)。

 

——だいぶ下心スタートですね(笑)。その採用されたストーリーはどんな内容だったのですか?

主人公は世界中のさまざまな問題の“夢”を見るんです。例えばアフリカの少年兵やったりフィリピンの児童労働やったり、老人が無視されることやったり……その夢から目覚めてテレビを見たら、それは夢じゃなくて現実にもあることなのだと知る、というストーリーでした。
僕はこの舞台を通して「すぐにこうしてほしい!」ではなく、「気づいて!」という想いを伝えたかったんですよね。でも、台本を書いて、主人公も演じたことで僕自身も感化されたんです。それが途上国支援を仕事にしていきたいと思うキッカケになりましたね。

 

——そして大学も“国際公共政策学科”を志したんですね。

そうですね。そういう思いを高校でも持ち続けて。ただ、大学では法律の授業とか、大きなテーマばかりで、自分が直接関わっている気がしなかったんです。『大学に入ったからやれるわけではなくて、自分で探さなければいけない』と気づきましたね。
そこで途上国支援を行っている学生団体を探したものの、どこか似たり寄ったりで……僕がやりたいこととはちょっと違うかなあ、って思ったんです。

DSC_0033

 

貧困って、本当に不幸ですか?

音楽とダンスで、自分自身を表現する教育を。

 

——では篤槻くんがスタッフをしている“光の音符”とは、どんな出会いだったのですか?

結局団体には入らず、ぷらぷら過ごしていたある日、偶然Twitterで“光の音符”という団体のツイートが回ってきたんです。それの謳い文句が“貧困って、本当に不幸ですか?”というものだったんですよね。これを見て『他の団体とはなにか違う!』と感じたんです。
こうして“光の教室プロジェクト”に関わることになり、インドへ行くことになりました。

 

——“貧困って、本当に不幸ですか?”とは、確かに考えたことがありません。具体的にはどんな団体なのですか?

“光の音符”は音楽家と学生を主体に活動している団体で、インド・ムンバイ市のダラヴィ地区にあるスラムの子ども達に歌やダンスを教えることで、“彼ら自身”を表現できるようになることを目指す活動なのです。そのプロジェクトが“光の教室プロジェクト”といいます。

 

——歌やダンスで“彼ら自身”を表現できるようになるとは、珍しい活動ですね。

僕は今まで机の上でカリカリ勉強する人間やったし、音楽やダンスは“娯楽”としか考えていなかったんです。でも、代表は音楽やダンスの力を信じていて、それによってできることがあると、そして「貧困=不幸じゃないんだよ!」と言ってきたんです。僕にとって初めての体験でしたね。
それになんて言ったって、そこで出会った代表も学生スタッフもオカしいんですよ(笑)。代表なんて、物乞いを見ても構えず、物乞いの目を見て手を握っていっしょに歌い出すんです!この人には敵わないと思いましたね(笑)。素敵だなって。

DSC_0015

 

世界は、変えられない

窓一枚で、僕の無力を思い知った。

 

——個性的なスタッフと共に訪れた、初めてのインドはどうでしたか?

 “光の教室プロジェクト”へ向かうと、そこには想像とは違っていた光景が広がっていましたね。僕は貧しい人たちは悲しい顔をしていると固定観念がありましたが、子どももお母さんもみんな元気で笑顔で、すごく温かいんです。
貧しくて、悲しくて、みじめで……と勝手に思っていた自分は感動しましたし、考えを改めましたね。逆に僕がエネルギーを貰いました。

 

——“光の教室”は心温まる場所だったんですね。

そうですね。ただ、衝撃的な経験もありました。ハジアリ霊廟というモスクへ行くと、その参道に、腕や足がない人が何十人も並んで物乞いをしていて……それを見て言葉を失いました。そしてふと、なんだかわからないけれど、『世界は変えられない』と感じたんです。
こうしてモヤモヤした気持ちでバスに乗り込むと、窓側で『コンコン』と音がしたんですよ。窓から見下ろすと、そこには小さい子どもが赤ん坊を抱いて立っていました。5歳にもなっていないような子が 「この子かわいいでしょ?」「この子にご飯食べさせてあげたいな」という仕草をしていて……一枚の窓ガラスで仕切られた、バスの中と外という位置関係で、自分の無力感を思い知らされ、泣きそうになりました。
 “光の教室プロジェクト”の子どもたちとの経験も大きかったですが、あの時の絶望感は、今も胸に焼き付いています。

 

——その時に感じた絶望感が、今の原動力になっているのですか?

『貧困は不幸ではない』と言いつつ、ちょっとでも手助けをしていきたいんですよね。僕と誰かの幸せは違うのと同じで、僕たちの幸せとスラム街の人々の幸せは違うということが知れました。だから、「幸せにしてあげるよ!」と言うのは違うんですが……。
そうやって必死に生きている子に『少しでもできることはあるのではないか』『あの子は少なくとももう少しいい生活をしても良いのではないか』と思うんです。一人一人の力は小さくても、何もしなければ世界は変わらないんです。たとえ自己満足やと言われても、それがやりたいことですから、仕方ないです(笑)。

DSC_0017

 

一人一人の力は小さくても、何もしなければ世界は変わらない

目に見えにくくても、ふわっとしていても、それがやりたいことだから。

 

——だからこそ“光の教室”には魅力を感じたのですかね。

 そうですね。“光の教室”の子たちも物乞いしている子はいるようですし、物乞い自体は悪いことではないと思います。そういう子どもたちが、音楽とダンスで経済状況が良くなるわけではなくても、辛い時に音楽が癒しになったり、ダンスで人に自分を表現する喜びを知れたりするように、心の面でのお手伝いをしているんです。
『こういうカタチでも途上国支援ができるんだ!』と衝撃を受けましたし、6年という長い年月をかけて正式にJICAに認められた活動だからこそ、自己満だけではない自信がありますよね。

 

——認可された活動とはいえ、やはり理解されないと感じることはあるのですか?

それはいつもですね。僕が講演をする時も、「ダンスと音楽で、って欺瞞なんではないですか?」「その活動に意味はあるの?」と言われます。
僕には確固たる想いがあるのに、伝わらないんですよね。そういう時は「もう!違うんだよ!分かってよ!もう自分の目で見て!!」って思っちゃいます(笑)。
でもきっと、まだまだ自分の言葉にできていないから伝わらないんですよね。

 

−−想いがあっても、自分の言葉にするのは難しいですよね……。

僕は「これをやっているんだよ!」と言うことに抵抗があって、というのも、自分がスゴいと思えないからなんです。“光の音符”メンバーの中でも、喋りが上手だったり、デザインができたり、ウェブサイトが作れたり、音楽が得意だったり、ダンスが踊れたり……そういうスゴい人が居る中で、『俺は何をできるんだ?』と劣等感を感じてきました。
だからこそ、ようちゃんがやってる、“インタビュー”って素敵なことだと思うんです。人の魅力を引き出すなんて、簡単にはできませんよね。人の魅力とか、“隠れたもの”を引き出すことって、途上国支援でも大切な能力だと思います。

DSC_0030

 

“隠れたもの”を引き出すことで、気づくことで支援が生まれる

迷ってもいい、考え続ければいい。

 

——ありがとうございます(照)。引き出す力が必要だと、どのような時に感じたのですか?

大学のプログラムで途上国向けのビジネスモデルや技術を考えるためにバングラデシュへ行ったんです。インドと同じように、貧困でもみんな笑顔は同じでした。でも、“笑顔だから、貧困でも不幸ではない”とはいいつつも“それも幸せなわけではない”んですよね。
隠されたところに問題も、魅力も隠れていて、それに気づくことが大事なんだと感じました。やからこそ、一緒に手を取り合っていきたいと思うんです。

 

——なるほど……問題や魅力にも気づかなければ、そのまま止まってしまいますよね。

僕は、自分がやっていることの意義が分からなくなることもありましたが、この時期があったからこそ、常に何ができるか考えていかなければいけないと思いました。
それに、“光の音符”メンバーのこんな言葉があったんです。
「支援をする時に、○○と決めつけてしまう人がやるのは危険。常に迷える人だからこそ、支援はできることやと思う。」
これが僕の胸に突き刺さったんです。『迷ってもいいんや』と気が楽になりましたし、今では「よし、ちゃんと迷えてる!」というくらいの気持ちを持っています(笑)。

 

——やはり将来も、途上国支援を仕事にしたいのですか?

僕は、“世界中の誰もが自分の人生のクリエイターになれる世界”にしたいです。ダンスや音楽やデザインでなくていいから、みんなが『俺はコレや!』と思える世界を作れたらと思うんです。
環境を作るのはもちろんですが、どちらかといえば、その人自身が環境に負けないように、ひとりひとりが力を持てる教育を作りたいです。“一人一人の力は小さいけれど、何もしなければ世界は変わらない”からこそ、僕は胸に刻んで行動しています。

 

——それでは最後に、篤槻くんの『俺はコレや!』は何だと思いますか?

うーん……僕は“絵”ですかね。自分の描く絵が好きなんです(笑)。もちろん立派な絵ではないけれど、『一種の表現をやってもいいんや!』と “光の教室”を通して改めて教えてもらいました。芸術に目を向けて、人の持っている創造性に気づかされたんですよね。
何より、一人一人を大事にしたいんです。誰がどんな絵を描いても、それは立派な表現で、それでいいじゃないですか。楽しければなんでもいいじゃないですか。
僕もいろんなものを、カラフルにしていきたいですね。

ふたり

(篤槻くんから似顔絵をプレゼントにいただきました、感動!)

 

 

心を動かす活動は、どうしてもカタチに見えにくい

誰もが肩に力を入れて生きてしまう世の中で
“迷ってもいいんや”
という言葉が、私の心も楽にさせてくれた

 

あなたの『幸せ』を、あなたの『コレ』も
ゆっくり探していけばいいんだ 

“世界中の誰もが自分の人生のクリエイターになれる世界”は
どれだけカラフルな世界になるのだろうか

 

Facebook:Atsuki Kuroda
Twitter:@gyakudachs

 

【文・写真:三宅瑶