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今回のインタビューは一橋大学に通うマレーシアからの留学生、サラ・ラシカさん

 

日本とマレーシアを何度も行き来し、人望の厚さに加えて、

日本語、英語、マレー語、アラビア語が話せる多才な彼女の素顔に迫った。

(文…小澤泰山)

 

★ラシカさんの記事は、3名のメンバーが書いております

同じ音源をもとに記事を作成していますが、執筆者によって内容・捉え方が異なっております。

長瀬晴信(一橋大学4年) ②木村優志(青山学院大学2年) ③小澤泰山(本記事)

 

自分のアイデンティティはどこ?

 

まず、生い立ちを教えてください。

生まれはマレーシアの首都クアラルンプールです。マレーシアに住んでいましたが、5歳の頃から日本の方に家族で移り住みました。日本に来てもマレーシアの愛国心は強かったですね。マレーシアからもってきた靴が履けなくなっても捨てずに大事に持っていたぐらいです。

日本の保育園に入ったので特別日本語の勉強をしなくても、小学校に入る頃には日本の子供と同じように日本語が喋れるようになっていました。友達にも恵まれて勉強も得意だったので、活発的な小学生でした。

 

 ですが心の中では、「私は中身は日本人と同じだと思っているけど周りには外人だといわれる。やっぱり違うのかな」そう悩んでいましたね。

中学一年生の時にマレーシアに帰りましたが、その年から数学・理科が英語で授業するように変わったし、宗教系の学校に入ったのでア ラビア語もやらなくてはならなくて、英語、マレー語、アラビア語と語学の勉強は本当に大変でした。言葉が話せないという言語的理由だけで「頭が悪い」と言 われて本当に辛かったです。先生から「どうしてうちの学校にいるんだ?他の学校にいけばいいのに」とさえ言われることもありました。

日本人と同じようにカタカナ英語だから、授業で当てられて英語を話す度に笑われるので、言葉をしゃべるのが嫌で消極的な子になってしまいました。あだ名はドラえもんの「しずかちゃん」でした。「日本人」と呼ばれることもありました。

 

日本で育ったのに「お前は日本人じゃない、外人だ」と言われ、マレーシアに帰っても「お前はマレーシア人じゃない、外人だ」と言われるのは自分ではどうしようもなくて本当に苦しかったです。

 

自分のアイデンティティが分からなくなっていた中で「自分はどっちの人なんだろう」そういう思いが晴れたのはいつですか。それが自分のなかで納得できるようになったきっかけはありますか。

 

大学の国際寮でCA(コミュニティアシスタント)になって、いろんなバックグラウンドを持つ人と暮らすようになったのがきっかけです。それまではマレーシア人だからマレーシアで育つ、日本人だから日本で育つ、そういうアイデンティティの人としか出会っていなかったんです。

  国際寮では、たとえばコロンビアで生まれたのにオーストラリアで育ったから「出身はオーストラリア」と答える学生に出会いました。他には、両親がミックス で(複雑なバックグラウンドで)「何人ですか?」と質問されても「一言では説明できません」と答える学生にも出会いました。そのとき「アイデンティティっ て1つじゃなくてもいいんだ」と思えるようになったんです。

  その前は日本人の人が「日本語上手だね、いつからいたの?」と聞かれると自分が小さい頃に日本にいたことはしゃべりたくなかったんです。でも今はちゃんと 「小さい頃日本にいました」と言えますね。だからこそ、大学に入学して国際寮に入ったことが、大きく成長できた要因だと思います。

 

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自分の中の多様性を受け入れられたんですね。昔自分が小さい頃に日本に住んでいたことを隠そうとしたのはどうしてですか?

 

小さい頃住んでいたと言ったことでマレーシア人として見られなくなるのが嫌だったんです。「小さいころから日本にいたんだから日本人でしょ」って。マレーシア人じゃないって思われるのは自分の中のマレーシア人性を否定されたように思えてしまうんです。

だから日本にいた事実を言わなければ「外国人なんだね、でも日本語上手だね、すごいね」ってなるんです。

だけれども、今はもうどっちと思われても受け入れています。

 

一番を目指していたい

大学入学時、どうしてまた日本に戻ることにしたのですか。

日本で暮らしたいと思ったんです。やっぱりマレーシアは日本と比べると不便だと感じます。日本はご飯は美味しいし、交通網もしっかりしてて、素直に日本で快適な暮らしをしたいって思ったんです。

留 学先は本当は東大に入りたかったです。日本で1番だから。自分の奨学金機関は東大とは提携していなくて、選べる中で1番レベルの高い一橋にしたんです。ち なみに最初の夢はお医者さんでした。マレーシアは学歴社会で、勉強ができればできるほどえらいみたいな価値観があって、その中で医者が1番えらいんです。 家族もそういえば喜ぶと思ったし、単純な理由でしたね。笑

 

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どうして1番を目指すのでしょうか。

 

私自身、マレーシアでどん底の時代があったからこそ、みんなを見返してやろうという気持ちは誰よりも強くありました。

「あなたは頭がよくないから人に迷惑をかけている。授業の足を引っ張っている。」なんて言われるのは嫌だったし、いつも自分の行けるところまで行きたい、いつもそう思っています。

 

日本の心がわかる強さ

「いけるところまでいきたい」という思いがあるなかで、では今自分はどの位置まできていると思いますか。

結構いいところにはいると思います。

 日本語をしゃべれる外国人はたくさんいると思うけど、私のように日本の心 をわかっている外国人はなかなかいません。だからこそ自分のなかで誇りに思うし、そこは自信がありますね。私と話してて相手は緊張しないし、外国人としゃ べってるような気がおきませんから。そこが自分の強みだし個性だと思っています。だからこそ、私が深く日本を知っているからこそ生まれるマレーシア(また はイスラム)のプラスの印象をもっと多くの人に与えていきたいです。

よくスカーフとかを被っているからイスラム教の人は怖いっていう印象を持たれがちですけど「イスラム教の中にもこういうひともいるんだ」そういう経験・良い印象を周りの人に提供することも私が日本に来た理由なのかもしれません。

 

これまでのステレオタイプをぶち壊す

残り一年間の大学生活はどのように過ごしますか。

 

  人に会うことに時間を裂いていこうと思います。特に社会人になったらなかなか会う機会がない人に。マレーシアから日本の大学に入った大学生だから、マレー シアの政府関係者達が日本に来た時に学生に会いたいと言ってくださったり、今活動してる学生団体を支援してくれたりするんです。

 

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人に会うことでなにをしていきたいんですか。

 

私の将来のビジョンはできるだけ多くの人に貢献していきたいと思っています。特に日本とマレーシア、イスラム教の人々を中心に。

 

一言に貢献といっても色々な形があると思うんですけど、私の中で貢献は「ひとの心を動かすこと」だと思っています。その手段として「会う」ことを選びました。

私と会うことでその人も変わってくたらと思っています。もちろん自分も相手から影響を受けたいですが、なにより自分との出会いで今までのステレオタイプの考え方を捨てて新しいことを考えるきっかけになればと考えています。

 

「日本(あるいはマレーシア、イスラム教)には実はこんな人もいるんだ」と気付いてもらう。あるいは「後進国はどこも貧しいだろう」とか「こんなところが あってあんな人もいてやっぱり日本は素晴らしい」なんていう盲目的な理解をしている多くの人にそれは違うと教えてあげるんです。やっぱりそれぞれの文化の 魅力をより正確に理解してもらいたいですね。その違いは両国で育った自分だからこそ教えられることができることだと思うんです。

 

 

やさしい笑顔が印象的なラシカさん。しかしその裏には幾多のつらい時期を乗り越えて養われた確かな意志と目標があった。日本とマレーシアその他各国の架け橋として今後のますますのご活躍期待しております。貴重なお時間ありがとうございました。

 

 

【文…小澤泰山】