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今回のインタビューはマレーシアからの留学生で、現在一橋大学4年生のサララシカさん。

ラシカさんが日本に来て、日本とマレーシアで感じた経験、これから取り組みたいことについてお伺いしました。

(文:木村優志)

 

★ラシカさんの記事は、3名のメンバーが書いております

同じ音源をもとに記事を作成していますが、執筆者によって内容・捉え方が異なっております。

 

長瀬晴信(一橋大学4年) ②木村優志(本記事) ③小澤泰山(東京学芸大学1年)

 

『日本とマレーシアでの経験』

 

生まれはどこなのでしょうか?

— マレーシアの首都、クアラルンプールです。幼少期は、5歳から12歳までは日本にいました。小さい時は愛国心が強かったのですが、マレーシアから持ってき た靴が小さくなっても捨てるのを嫌がり、母親に「その靴小さいんだから捨てなさい」と言われてもなかなか聞きませんでした(笑)。

12歳でマレーシアに戻るときマレーシアは大好きでしたか?

—そうでもなかったです。日本では、小学校に入るあたりから日本の子と同じくらい日本語を話せるようになってました。中身は日本の子と同じだと思っていたけれど、それでも違うと思っていました。それで悩んでいましたね。

アイデンティティが2つあると思うのですが?

—私は日本人だと思っていたけれど、他人から見たら日本人ではないじゃないですか。なんで私は同じことをしているのに日本人ではないのだろうと思っていました。

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それで何か苦い経験や苦しい経験はありましたか?

—マレーシアに帰ったときですね。そのときは中1だったのですが、そのときちょうど私の代から理科と数学を英語で授業をするようになりました。日 本の小学校の授業って英語がないじゃないですか。だから英語が全然わかりませんでした。マレーシア語もあまり話せなくて片言でしたし。私の学校は宗教系の 学校だったため、アラビア語で行う授業もいくつかありました。だから一度に3つの言語を勉強しなくてはいけませんでした。いろいろ言われましたね。頭が悪 いとか。

小学校のときはクラスのトップで、けっこう活発だったんですが、マレーシアに帰ると言語の壁を感じて話せませんでした。私立の学校に通っていたのですが、先生に「なんで公立の学校に行かないの?」などと言われることもありました。

言葉が通じなくて悔しいと思った経験は、幼稚園のときなのですが、そのときは私が日本語を話せなくて言語の壁を感じましたし、マレーシアに帰るとマレーシア語や英語を話せないので、そこでもまた言語の壁を感じましたね。

 

中学でマレーシアに戻って、高校のころは何かやりたいことがありましたか?

— 高校のころはマレーシアの進学校に通っていたのですが、そのときは医者になりたかったです。小学校6年生のときに卒業論文に自分の夢を書くのですが、一番 目の夢が医者になっていろんな人を救うこと、2番目の夢が医者になれなかったらお金持ちの人のお嫁さんになることでした(笑)。

マレーシアは学歴社会なので、勉強すればするほど偉いといわれますし、よくわからないけど当時は医者になりたいと言えば周りのみんなが喜ぶと思っていました。だから高校進学のときは理系を選択しました。

 

医者になりたいと思ったときマレーシアで働くことを考えていましたか?

— 考えてなかったですね。12歳の時にマレーシアに戻って、おまえは日本人だなどと言われたりして。私が日本で育ったときは日本人ではない外人だと言われた のに、マレーシアに戻ってからもおまえは外人だと言われて嫌になりました。だから留学してマレーシアを置いて出て行こうと思っていました。

 

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『2つのアイデンティティを経験して』

自分がどちらの国の人間なのかということを中学のころに経験していると思うのですが、それが晴れたのはいつ頃なのでしょうか?

— 大学2年生のときですね。今は国際寮にいるのですが、今までは日本人だから日本で育つ、マレーシア人だからマレーシアで育つといったようにアイデンティ ティが一つしかない人たちとしか会わなかったんです。けれど、大学1年の頃から大学の国際寮に入ってからはいろんな人がいて、例えばコロンビア人なのに オーストラリアに行ってオーストラリアから留学して、出身はどこ?と聞かれたらオーストラリアと答えている子もいました。

そ のときにアイデンティティって一つでなくてもいいんだなと思いましたね。大学1年生のときは、日本語上手だねと言われたりして、いつ日本に来たの?と聞か れたとき子供のときに日本にいたことを話したくなかったです。話したらマレーシア人として見られなくなることも嫌だったんですね。完全に外人として扱われ るのも嫌だったけれど、小さい時に日本に住んでいたんだからもうあなたは日本人として認識されるのも嫌でした。自分のマレーシア人性というものを否定され たくなかったんです。今は受け入れていて、人に聞かれたときは小さい頃は日本に住んでいたと答えています。

そこが変わったなと思いました。自分の中の多様性を受け入れるようになりましたね。

昔はマレーシアがそんなに好きではないという印象を受けましたが、今は好きなのでしょうか?

—今は日本もマレーシアも好きです。どちらの国にも将来的には貢献していきたい思いがあります。昔はマレーシアでは勉強ができないこともあって、いじめられていたので嫌いでしたが、今は好きですね。

その変わったきっかけとしては2つあって、まず1つ目が海外に行くと自分の国の良いところを見つけられる。例えば日本に住んでいて、マレーシアだったら重い荷物を持ってくれる男性がいるのに、日本の男性は冷たいなとか。

2 つ目は、マレーシア人は日本のことが大好きで日本のことをとりあえず褒めようとする。日本に住んでいる留学生もささいなことで日本はすごいというけど、私 は自分のことを日本人とも思っているので、日本の悪い点が私には見える。日本について正しく理解されないのが嫌で、単順に盲目的に日本のことを過大評価す る人にコメントすることもある。

なにもかも他国が秀でていて、自分の国は全てにおいて劣っていると考えるのは間違いだと思う。そういうことを続けていたら、いつまでも今の現状を打破することはできないと思う。

 

今は文系の一橋大学に通われていますが、医療と文系の大学って全然違うと思います。

—高校2年生の時に医学部に進みたい学生は、大学に入る前に病院に見学に行って、実際に手術しているのを見なくてはいけなくて、私は血が見られませんでした。見るとくらくらしちゃうんです。それでダメでしたね。そもそも医学部は無理だったんです。

あとは進学校で理系に進む人が大半なので、ストレスがたまっていたこともあり、違うことをしてみたいと思うようになりました。一橋大学を選んだのは、正直に言うと自分が行けるレベルの中で一番レベルの高い大学だったからです。東大や京大を目指そうともしましたが、私の奨学金を出しているマレーシア政府と提携を結んでいないこともあり、一橋大学の社会学部は提携を結んでいて、国際社会について勉強したいこともあり、ここを選びました。結局、国際社会はやらなかったのですが(笑)。

 

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『人の心を動かしたい』

一番上を目指すということが先ほどから伝わってきますが、それは国家的なものなのでしょうか?

—私はマレーシアに帰ったときに一回挫折して学力的に一番下に行った経験があるので、みんなにいろんなことを言われました。いじめられたりしたから見返してやろうという気持ちがありましたね。そこで、自分がいけるところまで行ってやろうと思ったのです。

今では結構いいところに立てていると思います。それがなぜかというと、まず一橋大学に入れるマレーシア人がそんなにいないこと、あとはただ日本語を話せるだけでなく、日本の心を知っているという自信があります。私と話していて外国人だと思いますか?(笑)

思わないです(笑)。確かにそれを思わせない力ってすごいですね。自分のアイデンティティも掴めてきて日本やマレーシアに尽くしたいという思いがあると思います。これからのことについてお聞きしたいです。

—まず、高校生の頃、日本に来たいと思ったのは快適な暮らしをしたかったからです。しかし、日本で 学生生活を過ごすうちに私一人がそういう快適な暮らしを過ごすのではなく、マレーシアだけでなく他の地域の人にも快適な暮らしを提供したいと思いました。 快適な暮らしを提供することで、地域の人が自分の地域を好きになって、同時に日本も好きになってくれればいいなと思っていました。そのことがきっかけとな り日本での就職を決めました。

 

 

本当は大学院に行こうとも考えていました。就活が怖かったので。最終的には父の言葉が就活をする気にさせてくれました。父に私が大学院に行ってほしいか聞いたら、「大学院に行ってほしいのもあるけどやりたいことがないのなら自分のキャリアを試してみなさい」と言われました。

 

 

そして、大学生活残り1年は、学生でしかできないことをやっておきたいです。政治家やビジネスをやっている人、起業している人などいろいろな人に会いたいです。

 

最終的なゴールとして自分はどうありたいか。仕事についての夢と自分のライフプランの夢の両方を聞かせてほしいです。

—仕事のほうはまだわからないです。

将 来的な夢としていろいろな人に貢献したいです。マレーシアにも日本にも貢献したい。他の人にも私ができることをしていきたいですし、人の心を動かしていき たいです。いろんな人に会いたいとさきほど言いましたが、私と会うことでその人が変わればいいなと思っています。私もその人から影響を受けますし、自分が 今まで持っていたステレオタイプを変えて、新しいことを考えるきっかけになれればと。今は人の心をどうやって動かすかについて学んでいます。

 

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日本とマレーシアで経験した挫折、そしてそれを乗り越えて、より高いレベルを目指すラシカさん。日本語が本当に上手でした。残り1年の大学生活でいろいろな 人に会っていろいろなことを吸収し、将来は日本とマレーシアの架け橋となる存在になり、社会に貢献できることを期待しています。

(文:木村優志)