馬暁恵
中国の大学(政法大学)を卒業後、日本に留学。

中央大学大学院法学研究科修士課程修了。

現在は東京都在住。

【インタビュアー 山口萌絵】

■人柄の良さが光る。


やわらかい雰囲気をだして、優しい声と安心させてくれる笑顔をお持ちの馬さん。

国際人としての馬さん。中国語教員としての馬さん。そしてお母さんとしての馬さん。

 

今回はそんないろいろな素顔を持つ素敵な女性からお話を聞きました。


※この記事を読んで、みなさんには自分が一番心地よい生活、人生ってなんだろうと考えてもらいたいです。馬さんはきっと皆さんにいいヒントを与えてくれるはずです(^^)

■未来を創造すること

――――みなさんは自分の5年後、10年後を想像することはありますか?

今の日本において学生は「働いているかな」「家庭をもっているかな」「海外で働いていたいな」「可愛いお嫁さんになっていたい!」といった想像、希望をもつでしょう。

しかし馬さんの話を聞いて、その当たり前なことが一瞬にして、恵まれていることに変わった・・・


高校卒業後、地方に飛ばされて・・・

「2年半農業をしました。」

 

下方政策のために、北京から郊外に移り一日中農業をしていたという。

食 事も、朝はなし、昼は大根か白菜のスープ、夜は。お菓子は何もないので、少し甘い胃薬を飴代わりにしていたそうだ。聞いただけでも、ぞっとするかもしれな い。今の日本の学生がその状況だったら・・・と思ったら、馬さんの苦労が想像以上だったことがわかるだろう。いきなり生活が一変し、いつ政策が終わるかわ からない状況になったら、私たちは何を考えればいいのだろう。


しかし馬さんはいう。

「私たちは決して暗い青春ではなかったですよ」

「?」

「い つも私たちは希望を持っていました。個人というより、全体として。中国はこれからよくなると希望をもっていました。地方の村は都会の北京に比べると、教育 も法も整っていません。高校までそれなりに甘えてきた私たちが、地方に行くということは教育を広めて、知識を与える、そして自分を鍛えるということだった のです。でも、ポジティブな性格に救われたともいえますね。」

「いろんな経験をして農村で素敵な人間になる。」

これが馬さんの目標だったようだ。

そうやって笑顔で、過去を話してくださる馬さん。

今の馬さんがあるのはこうした原点があるからなのかもしれない。

  

やっと下方政策が廃止されて、晴れて大学生になることができた馬さん。

しかし、大学内は異様な光景。約10年間の政策の影響として、16歳から30代までの人が同じクラスにいる状況には驚いたそうだ。

 

■椅子がない大学から・・・


――――大学生活はどのようなものでしたか?


「最初は教室に椅子がなく、生徒はキャンプなどでつかう椅子を持参していました。大学には教授も少なかったです。大学では法律を学んでいました。大学を卒 業したら、そのまま大学で務めないかと勧められてそのまま先生になりました。ちょうどそのころ、中国に特許法ができたんです。それまで商法がなかった中国 では特許法は新しいジャンルのものでした。私はその特許法を生徒に教えるようにいわれたのですが、それは大変でした。資料が何もないのです。だから特許局 が発行した雑誌と外国の特許法を紹介した本を使って必死に勉強しましたね。もはや生徒と一緒に勉強していたという感じです。」


馬さんの努力はいたってシンプルだった。

生徒のために、自分が教える立場になるには、自分が何倍も何倍も努力する。

この時の馬さんの姿は今にも続いている。


■そして日本に・・・


旦那さんの仕事の関係で日本についてくることになったそう。


「最初の1年は早稲田大学の国際センターで日本語を学びました。そして3年間主婦をしていました。毎日テレビをみて日本語の勉強をしたり、日本人の考え方・しきたりを知ったりしていました。芸能人なんかも結構覚えましたね。」

――――やっぱり外国語を学ぶはテレビってとても有効なんですね。


「日常生活の知恵や日本料理をテレビや日本人友人にも学びました。保育園用の布団カバーを手作りで縫って、名前を刺繍風に手作りしましたよ。中国北方出身 の私には冷たいご飯でのお弁当は不思議に思いましたが、息子のために、ソーセージでカニやタコ、のりでパンダのおにぎり等の可愛いお弁当も頑張って作りま した。

生け花も習いましたよ。池坊の先生について、一年半の間だけでしたが、年に一度の発表会で新人賞ももらいました。続けられなくて残念でした。」

――――充実した生活を過ごされていたのですね。

「はい。やはり子供はとても可愛いですし、家庭を大切にしたい、家族のために生活したいと思いました。でも、子供が3,4年生になったころ、なにか物足りなくなったのですよ。」

――――気持ちの変化があったのですか?

「は い。カッコいいことをいうみたいなんですけど、単純に社会に対して自分という人間ができることをしたいと思ったのです。それは同時に自分のためでもありま した。外国人としてできることって何かと考えて、大学の時に学んだ法律をもう一度学びたいと思い、勉強して中央大学法学院法学研究科に入りました。」

――――大きな挑戦ですね^^

「はい。でもこの選択をしたからこそ、日中間の経済的な取引を法律的にサポートすることができる立場を得ることができました。私なりの社会への貢献です。」

■現在、そして未来

「卒業後、悩みました。家庭と仕事の両立の難しさは先輩留学生をみて感じていました。バリバリに働くことも可能でした。けれど、幼い息子に首に鍵をかけ夜遅くまで親を待つ寂しい思いをさせたくない思いがあったから、その時に考えたのです。自分にとって一番大切にしたいことは何か、そして何をしていることが社会に貢献しながらも自分にとって一番居心地がいいのか。それを考えたら、わたしは『家族』が自分にとっての一番でした。だからこのことを自分の柱において、卒業後のことを考えました。」

『人を育てる。そして人と人を繋ぎ、国と国を繋ぐ。』

現在は学生や社会人に中国語を教えながら、様々な日中間の国際交流に力を入れており、ボランティアにも積極的に取り組んでいる。

「中国残留孤児とその子供、中国に駐在した親と一緒に中国に住む経験のある子供、日本で生まれた中国人と日本人の間で生まれた子供に中国語を教えたり、通訳したりなどサポートや支援する活動などをしています。」

未来の日中の架け橋を育てることになった今

中国語を教えることにもやりがいを感じているそうだ。

「元々 しゃべれない人たちが一生懸命教えることで、自国の言葉を話せるようになっていく上達を見るのはとても楽しいことです。どんなに立派な大人でも、最初はた どたどしくて可愛いです^^人が何か一生懸命伝えようとするとき、人は全力でそれに応えてくれる、これは本当に幸せなことです。

そのうちぺらぺらに中国語を話せるようになり、私の母国語で交流できるようになることも本当に幸せなことです。」

そうやって幸せそうに話す馬さんをみて、私までも幸せな気持ちになった。

「ま た、語学を教えながら、中国の文化や歴史背景を教えていくことで、感情や愛で理解することが可能になってきます。日本人と中国人はお互いのイメージは正直 あまりよくないでしょう。でもそれは政治が大きく関係しています。私は、国としての交流ではなく人間としての交流がこれからはもっと必要になってくると 思っています。自分なりの社会貢献がわかってきて、今は中国を理解してもらい、好きになってもらえる努力をしています。中国に帰るときも、周りの人たちに 今の日本現実の日本を伝えています。私はこれからも人と人が交流する手助けをしていきたいですね。」

■幸せを感じる瞬間

――――馬さんにとっての幸せはなんですか?

「最 初にいうとしたら『家族』です。家族が元気でいつまでも仲良くしていることが一番の幸せです。そして自分のことを大切だと思ってくれる人が周りにいること はとてもありがたいです。無理のないように仕事をし、家族の面倒を見、その隙間にコーラスや太極拳など好きなことをして、今自分らしい道を歩んでいること は心から幸せだと感じています。」

★教室にて(中国語愛好者のクラス「北京会」)


★武蔵野市教育委員会主催の「中国語保持教室」


★ウィーンのゴールデンホールでの公演(一つの夢を叶えた)


★家族と一緒に


★コーラス風景

★生け花の練習

★京劇を歌う(ポーズをしている 笑)

★チャイナドレスの馬さん^^美人ですね!

★生徒さんに太極拳を体験させる風景

【追記】

今 回のインタビューを終えて、人は自分にできることをして、それが自分にとって生きがいになることは本当に幸せなのだと感じました。馬さんの魅力は、単なる 人柄の良さという言葉では伝わらないほどの人間味あふれる個性です。どんな状況においても、自分と対話をしています。そして大きな選択を確実に乗り越えて います。決して驕れることなく高い目標をやりきる姿は、人としてまた女性として尊敬します。今回のインタビューを通して、穏やかで温かい雰囲気を持ってい る馬さんの中にある芯の強い部分に触れることができました。


山口萌絵

■ご参考として、日中友好新聞のホームページ(馬さんのインタビュー)■

ttp://www.jcfa-net.gr.jp/index.html