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「インタビューしてください。」
全ては一通のメールから始まった。

みなさんは神戸大学4回生の小林由季さんのインタビューを覚えているだろうか?

 

秋音さんは由季さんと同じ学校の後輩であり、同じ病院に通っていたそうだ。

そして由季さんから勇気をもらい、アクションを起こしてきたという。


彼女がリアンの元に訪ね、伝えたかったことは

私たちの知らない世界だった。

 

 

病院から外出許可をもらって、来ました。

高速バスで京都へ、その原動力は何だろう?

 

 

――今日は遠くからわざわざ、本当にありがとうございます。なぜこのようにインタビューを希望されたのですか?

 

私は、今までお世話になってきた人々への恩返しをしたいと思って来ました。


私は中学1年生で発病し、20歳である今も入院しています。病院の方や家族など、たくさんの人に支えられ、感謝してきました。
でもその感謝を返したいと思ったときに、ある看護師さんに「モノとかではなくて、今こうして生きていてくれるのが恩返しだよ。」と言われたんです。

 

だからこそ、病気という視点から自分が知ったことを私はみんなに知ってほしいと思ったんです。色んな新聞に寄稿していたり、このようにインタビューをお願いしたのも『恩返し』なんです。

 

病院は『生きる』か『死ぬ』かの世界なんですよ。病院には中間がないんです。こういうことは、外にいる『中間』である健康な人にも知ってほしい世界なんです。知ってもらえるだけでも嬉しいんですよ。

 

 

――伝える場として選んでくださって嬉しいです。伝えたいということは、今の医療で課題を感じることがあるのですか?

そうですね。まず、日本の医療対策はまだ不十分で、医療費の問題で治療を諦めてしまう子が居ます。医薬品の認可の関係で、治療が遅れてしまうこともあります。みなさんにはもっと、医療で考えていかなければいけないことがあるということを知ってほしいですね。

 

そして2つ目に、これからは1人の患者さんについても多角的に見ていかなきゃいけないということです。医師が全体を見るのなら、看護婦さんは断面的に見て、医療保育士はまた別の角度から……という風に。

 

たくさんの人が見てあげるのが必要だと思います。何より、自分がそうしてもらったから感じるんです。

 

 

――多角的に見ていく、そう実感したのはどんな時でしたか?

 

自分が考えられる状態になって、病院のみなさんが、たくさんのコメディカルな人が側に居てくれて「本当に良かった。」と思った時ですね。

病気のときは本当に人を信じられなくなりました。自分に関わってくれるいろんな人を試したりもしました。でも、入院中に日記を書いていて、今までに関わってくださった看護師さんの名前を書き出していったら、何十人もの名前が出てきたんです。

 

これだけの人に支えられて私は生きてきたんだと思ったら、その時は本当に泣きました。感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

 

――秋音さん自身の入院生活を通して、感じていたことは何ですか?

 

病院にいると友達とも、家族とも『絆』がなくなるんじゃないかと不安を感じていました。病気の子って、恐怖との戦いなんです。自分がちょっとでも1人になると不安になって、癇癪になったり、暴れてしまったり。

ですが、友達からの寄せ書きをもらった時はすごく嬉しかったです。「また待ってるよ。」とか、「今まで知らんくてごめんなあ。」とか書いてくれていて……。家族も電話で「今あきちゃんのことを考えて煮物作ってたよ。」って言ってくれたり、「忘れられていない。」って安心できるんですよね。病院に来れなくても、何より忘れないことが一番のお見舞いだと感じました。

 

「私は何で病気になったの?」とか、友達が退院してしまったら悔しくて「もう嫌だ!」となった時も、「私にはあの人が居る。」って思えるような人が居れば、それで良いんです。

 

『誰かのために生きてた』って言えることがパワーになるんだと思います。

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病院の子になってはいけない

きっと私たちは知らない、知らなければいけない。

 

 

――秋音さんはパワーに溢れていますよね。今は何か活動をされているのですか?

 

ある病院で、ボランティアとして児童に学習支援しています。

 

治療のストレスを感じている子達に接するのですが、「注射がこんなに大きくて。」とか「MRIの音がうるさかったよ。」とか、私が体験していなかったことだから上手く応えられないんです。そう言うときの声かけとかも勉強になっています。

 

 

――病気の子ども達と接して、どんなことを知りましたか?

 

「外泊していいよ。」とか「退院していいよ。」っていうのは、もう先が短いという場合もあるということを知ったときは悲しかったです。「残された時間はお家で過ごす時間を大切にしましょう。」ということのようです。


医師達は「治してあげられない。」と悔しくて、その子の家族は「この子が死んでしまう。」と悲しみに暮れる。
だけど子どもは、何も知らないんです。「家に帰れるんだ。」と嬉しいんです。


こういう壮絶な感情の入り交じりの中で、こんなところで私が関わっていって良いのか、すごく不安になりました。

 

 

――不安になっても向き合い続けた強さを感じます。病気の子ども達と接することに、必要なことは何だと思いますか?

 

距離感の取り方が本当に大事なんだと思います。


病院って、先生が優しかったり、友達ができたりすると居心地が良くなってしまって、『病院の子』になっちゃうんです。
そうなってしまうと、いざ退院できるとなった時に、精神的に落ち込んでしまうんです。

 

ずっと寄り添うだけではなく、突き放さなければいけなくて、必要なときに寄り添うぐらいの距離が大切なんですよね。どうやって支えてあげればいいのかもまた、この活動でも大学でも勉強していきたいと思います。

 

 

――ついに念願の大学生になるわけですが、やはりそういう経験を仕事にしていきたいのですか?

 

私の行く大学は、医療保育科が唯一ある大学なんです。そこで病児保育や医療保育士の勉強をして、留学して資格を取ろうと考えています取りたいのは、医療に介入できる仕事の資格であって、病気の子どもたちがなんで苦痛になるのかとかも丁寧に気にかけてあげたいんです。

病気になると、いつもなら出来たことが出来なくなったり、思わず病気のせいにしてしまうものだと思うんです。私も事実そうでした。

 

「病気だから」の順接から、「病気だけど」の逆説に考えるようになったらどんどん変わっていったんです。

 

病気はならない方が良いけれど、なって良かった

彼女は笑顔でそう言い切った。

 

 

――人、出来事からいっぱい学んできたのですね。では秋音さんにとって影響を受けた「モノ」は何ですか?

 

『電池が切れるまで』という病院で過ごす子ども達の詩などが載せられた本ですね。この本を読んで、私は自分が病気になって色んな物を得たんだと思えるようになりました。

病気でなければこの本に共感することも、気づくこともなかったでしょうし。色んな人との出会い、考え方との出会いが自分を作っていったんです。

 

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――そんなに影響があったのですね。印象に残っている詩と、そこから得た物は何ですか?


『命』という詩ですね。院内学級で電池のおもちゃの電池が切れた女の子が、ふと言ったそうです。
「わたしの電池が切れるのかな。」って。そこからこの詩が出来たそうですが、電池という表現にハッと気づかされたんです。


今まで出会った人たちが応援してくれたからこそ、自分も応えなきゃって目が覚めたんです。
その1人1人がきっと、私の原動力になっているんです。『命』の詩でいう、電池ですね。


私はこれから退院して大学に行って、世の中に飛び立っていく中で、やりがいという電池だったり、夢という電池だったり、電池がいっぱい増えていく人に電池に頼らずとも輝いていける人になりたいと思っています。


心の中では電池の切れない、そんな人でありたいです。

 

 

 

次から次へと想いを伝えてくれる秋音さんは
辛いことを語っている時も常に素敵な笑顔を見せてくれた

 

これからも『医療の現実』を私たちに発信し続け、

そして彼女の気持ちが『電池』となり、
みんなに笑顔を灯してくれることだろう

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Facebook:金関 秋音 (kanaseki akine)

【文・写真:三宅瑶】